東京大空襲が子どもに与えた影響-ある戦争孤児の体験

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2.孤児となった星野さん(動画4~7)

(4)両親が亡くなったと告げられた時の心境

3月10日の大空襲により、星野光世さんは東京に残った両親と兄妹を失いました。そして、千葉に疎開し助かった星野さんは戦争孤児となりました。幼くして家族を失った星野さんは、どのような心境だったのでしょうか。

 

戦争孤児(せんそうこじ)とは

戦争孤児とは、戦争で親を失った子どものことです。空襲などで親が亡くなったり行方不明になったりした子どもは、親戚などに引き取り手がいれば引き取られましたが、戦争中・戦後の食糧難や社会的な混乱の中、引き取り手がいない子どもや、引き取られても虐待を受けて逃げ出したりする子どもが数多く生まれ、街中に行き場のない子どもが溢れました。彼らは「浮浪児」(ふろうじ)と呼ばれ、人の集まる駅などで野宿をし、物乞いや、靴磨きなどの単純作業をして生計を立てていました。生活苦から万引きや強盗などの犯罪に手を染める子どもも少なくなく、大人から汚い物のように扱われていました。戦後3年経った1948年の調査では、全国に戦争孤児は12万人いたとされています。

 

(5)戦争孤児を引き取る親戚の苦労

3月10日の大空襲により、星野光世さんは両親を失いました。当時、星野さんのような戦災孤児が大勢おり、そのほとんどが親戚などに引き取られました。



(6)弟との別れ

空襲の影響で両親が亡くなった星野光世さんとその妹さんと弟さんは、孤児となりました。その後、星野さんと妹さんは母親の実家に、弟さんは父親の実家に引き取られ、別離を余儀なくされました。

 

(7)倒壊した自宅を見た時の気持ちは

空襲の影響で孤児となった星野光世さんは、千葉の母の実家に引き取られます。その二ヶ月後、新潟の父の実家に移ることになりました。その道中、星野さんは疎開する前に住んでいた家に立ち寄りました。

 

次は  ➡  3.星野さんは当時と今の社会をどう見ているのか(動画8~11)





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