東京大空襲から73年目-慰霊祭のリポート

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かなり時間が経ってしまいましたが、2018年3月10日。
両国・横網町(よこあみちょう)公園内・東京都慰霊堂、東京大空襲から73年目の慰霊祭のリポートです。

駅方面から清澄通り沿いを公園に向かうと、公園手前の交差点付近でフライヤーを配る方々の姿がありました。
「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会』の方々です。
東京都慰霊堂には東京空襲で亡くなり、引き取り手の現れなかった方々のご遺骨が納められていますが、元々は関東大震災で亡くなった方々を慰霊するために建立されました。そのため、毎年3月10日と9月1日の二日のみ開かれる納骨堂には正面に震災殉難者のご遺骨が、空襲で亡くなった方々のご遺骨は両脇に納められています。
終戦から73年目となりますが、未だ自然災害による震災殉難者のために建てられた施設に戦災殉難者が納められ、独自の公的慰霊施設が無いのが現状です。

かつて『東京空襲を記録する会』を中心に震災とは別に独立した施設の建設計画が進められ、建設予定地も決まり予算もつきましたが、展示内容を巡って都との折り合いが付かずに建設計画が凍結されたまま現在に至ります。
頓挫した約3年後の2002年、有志の募金によって建てられたのが『東京大空襲・戦災資料センター』(江東区)という民間の施設です。

 


💡 『東京大空襲・戦災資料センター』館長早乙女勝元さんによるこのあたりの経緯の解説はこちらの記事(3ページ目)を参照ください ➡ 「【インタビュー】早乙女勝元さん(作家)-東京大空襲を今に伝える


『「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会』は、東京都慰霊堂や東京大空襲・戦災資料センターとは別に、東京空襲犠牲者を慰霊・継承するための施設建設を求めて活動されています。

石山久男先生からフライヤーを受け取り、お話をうかがうことができました。わたしは昨年も同じ日、同じ場所でこちらの団体からフライヤーを受け取っていましたが、この一年間で建設計画の進展は無かったとのことです。展示内容が自虐的であるとの指摘を受けて凍結されたと聞いていたのでその辺りを詳しく知りたかったのですが、立ち話だったこともあり、詳細を聞くことはできませんでした。

計画凍結から20年近く経っています。
空襲体験者も戦災殉難者のご遺族もどんどん高齢になる中、計画の解凍・再開が待たれます。機会をみて、現在凍結の原因になっている具体的な指摘などを聞いてみたいと思います。

『「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会』の方々がフライヤーを配布している場所からも公園内に入ることができますが、そのまま清澄通りを進むと慰霊堂の正門に出ます。
正門の前でもフライヤーを配布している方々がいらっしゃいました。
『東京空襲犠牲者遺族会』の方々です。
戦後サンフランシスコ講和条約発行後に軍人恩給が復活し、退役軍人やその遺族、軍属には補償がありましたが、民間罹災者には国からの補償はありませんでした。
戦災によって障害を負った方々が、これまで各地で国を相手に裁判を起こしましたが全て敗訴。現在は立法による補償を求めて活動しています。
お話を伺ったところ、現在東京都では超党有志の議員方が立法化へ向けて動いているとのことで、わたしたち都民にできることは『各区の議員にこの活動を知らせ、理解と協力を求めること』とのことでした。

こちらの団体も、補償立法化の先には都による東京空襲犠牲者の為の慰霊施設・平和祈念館の設立を目指しており、犠牲者名簿の作成やマップ作り等で協力関係にあるものの、東京大空襲・戦災資料センターとは別に新たな祈念館を構想しているとのことです。
昨年はフライヤーを配布する人員に若い方々の姿がありましたが、今年はご年配の方のみでした。

正門から公園内に入り、参拝の列に並びました。
普段は並ぶことなどなく自由に参拝できるのですがこの日は警備員による入場規制が行われ、一定数での入れ替え制です。
清澄通りの歩道や公園内には参拝者のための仏花などのテントが出ています。縁の方々に添えられるのでしょう。近くに並ぶご高齢のご婦人が、同行のやはりご高齢の方々と「今年が最後」などと仰りながらお花やお線香を手にしていらっしゃいました。



並びながら見える慰霊堂の右手には、大きな花壇の施設があります。

 

『東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑』です。

平和祈念館の設立計画凍結後、2001年に公園内に建てられ、中には戦災殉難者の名簿が納められている総務省管理の施設です。
こちらも毎年3月10日と9月1日に扉が開かれ、中に入ることができます。
花壇の向かって右側、ベンチや公園遊具の手前あたりにテントが張られ、名簿に納められている方の氏名を伝えると名簿の番号やページなどを教えてもらえるとのことですが、昨年わたしが立ち入った際は名簿はガラス窓で仕切られた向こう側に表紙を表に閉じた状態で並べられており、手にとってページをめくることなどはできない常態でした。
花壇は毎年季節ごとに植え替えられ、東京都のウェブサイトでの募集によって選ばれた4つのデザインが採用されます。
昨年の募集ページはこちら

今年も募集があると思います。

今年は入場までに30分ほど並んだでしょうか。

震災記念堂として1930年に建てられた慰霊堂は伊東忠太によるデザインで、入り口から入って右側には震災を伝える巨大な油絵が、左側には戦災を伝える大きな写真のパネルが並んでいます。
正面には参拝用の賽銭箱や焼香台、その向こうに大きなご位牌が二体奉られています。向かって右が震災殉難者、左が戦災で亡くなった方々のためのご位牌です。
宗教、国籍に関わらず震災・戦災で亡くなった方々を慰霊しているとのことで、数年前、3月ではない月命日の10日に訪れたことがありましたが、お坊様の読経の後に続いて別の団体が賛美歌を歌っていたのが印象的でした。

参拝を済ませ、外に出ると慰霊堂の正面左側では今年も甘酒が無料で振舞われ、心なしか昨年よりも全体的に参拝者は減っているように感じました。
補償問題も平和祈念館の設立も、今やらないと間に合いません。
今後もこの問題は注意深く追っていきたいと思います。

 

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記事・写真撮影:zazou

 





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