【資料館】歩兵第16連隊の歴史を学べる白壁兵舎広報資料館

LINEで送る
Pocket

こんにちは、Fumiです!

新潟県新発田市にかつて存在した歩兵第16連隊。この歩兵第16連隊が使用していた白壁兵舎という建物が、現在の陸上自衛隊新発田駐屯地のそばにあります。

今回は、私の曽祖父もかつて使用していた白壁兵舎に見学に行ったときのことをお伝えします。

 

激戦地に派遣された歩兵第16連隊


(c)太平洋戦争とは何だったのか

歩兵第16連隊は1884(明治17)年に編成されました。編成後は日清戦争、日露戦争、シベリア出兵に出陣し、昭和に入ってからは満州事変、日中戦争、ノモンハン事件、太平洋戦争と激動の時代を経験しました。太平洋戦争では主に南方戦線に派遣され、インドネシア、ガダルカナル島、フィリピンの島々、中国の雲南省、ビルマ戦線という激戦地で戦いを繰り広げました。

歩兵第16連隊には、戦時において特別に編成された2つの連隊がありました。後備歩兵第16連隊と歩兵第116連隊です。後備歩兵第16連隊は日露戦争に伴い設置され、歩兵第116連隊は日中戦争に伴い設置されました。それぞれ戦地に派遣され、数々の戦闘に参加した記録が残されています。

 

白壁兵舎の歴史


(c)太平洋戦争とは何だったのか

白壁兵舎は、歩兵第16連隊創設よりも早く建設されました。1871(明治4)年、新潟に東京鎮台第1分営が設置され、1872(明治5)年に東京に陸軍省が設置されました。これに伴い、白壁兵舎は1874(明治7)年、陸軍東京鎮台歩兵第8番大隊分屯営の兵舎として白壁兵舎が建築されました。

白壁兵舎と呼ばれるようになった由来はその外観にあります。建築当初、建物の壁が白い漆喰で仕上げられていたため「白壁兵舎」と呼ばれるようになったそうです。元々は新発田駐屯地の敷地内にありましたが、2014年5月に新発田駐屯地の外に移築されました。現在は自衛隊や日本軍の資料館として開館されています。

 

白壁兵舎の展示内容

白壁兵舎の展示内容は大きく2つに分かれており、2階部分が日本軍時代の歴史展示、1階部分が自衛隊の資料展示になっています。来館者はまず受付を通り、自衛官さんから館内についての案内を受けます。そして、2階から見学スタートとなります。館内は撮影OKです。こういった貴重な資料を撮影させていただけるのは本当にありがたいですよね!

館内には実に様々な資料が展示されています。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

歩兵第16連隊時代の本部兵舎の鬼瓦です。写真では大きさが感じられにくいのですが、かなり大きくて重厚感のある大迫力の鬼瓦です。大人の頭で5つ分くらいありそうです。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

出征時に掲げられた幟。寄せ書きされた日の丸も多数展示されています。この持ち主たちは生きて日本に帰ることができたのでしょうか…とても気になりました。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

第一大隊と書いてある器。器のデザインといい、柄といい、とてもおしゃれです。このような部隊名が記されている食器は初めて見たので驚きました。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

慰問袋とその中身たち。お人形や日本の女性が描かれた紙が入っています。きっと戦地で血生臭い場面にたくさん遭遇している兵隊さんの心の癒しだったのでしょうね。

現代のように簡単に海外の様子を把握できる時代ではなかったため、こういう慰問袋は内地を感
じることのできる貴重な存在だったのではないでしょうか。「このお人形はどんな人が作ってくれたのかな…」なんて、夜空に瞬く星を眺めながら想像したのかも知れませんね。

 

連隊の行動図

他には、連隊が行動した場所の図解も展示されています。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

激戦地として有名なガダルカナル島の戦闘について。ガダルカナル島の戦闘では、地図と写真一枚のみの支給で行動したのだとか。そうだとしたら、あまりにも無謀過ぎますね…


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

ジャワ島の戦闘について。南方戦線はどこもそうですが、蚊がたくさんいたのだろうなと思うと鳥肌が立ちます。私は蚊アレルギーがあるので、蚊に刺されただけで軽いショック症状が出ます。兵隊さんたちの苦労は想像を絶するものだったのでしょうね…


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

こちらは歩兵第116連隊の行動についてです。上海に上陸してからかなり内陸に進んでいることがわかりますね。私はこの行動図を見て、私の曽祖父の墓石に書かれた戦歴から曽祖父は歩兵第116連隊にいたとずっと思っていました。しかし実際は野砲兵第2連隊でした。曽祖父がいた野砲兵第2連隊も歩兵第116連隊と同じ戦闘に参加しているときがあるので、戦地で懐かしい新潟弁を耳にしていたのかもしれません。

 

慰霊碑が佇む西公園

白壁兵舎の近くには西公園という公園があります。ここには歩兵第16連隊をはじめとする日本軍時代の記念碑や慰霊碑があり、納骨堂もあります。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

立派な慰霊碑です。公園に着くと一番に目に飛び込んできます。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

ミャンマーの仏塔をモチーフに作られた慰霊碑です。中にはガダルカナル島、中国の雲南省、ビルマ方面で亡くなられた方々の戦没者名簿や遺品の数々が安置されています。普段は中に入ることができませんが、毎年5月3日頃に開催される越佐招魂祭のときに中に入ることができます。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

毎年5月3日頃に開催される越佐招魂祭のときの納骨堂の様子です。新発田市のお寺のお寺様方が宗派を超えて集まり、供養のお経をあげます。この日は納骨堂の中にも入ることができます。

私も入ったことがありますが、空気感の違いに言葉が出ませんでした。納骨堂の中は今でも戦前のままなのです。兵隊さんが写っているセピア色の綺麗な写真、静かに整列する真っ白い骨壺たち。とても写真を撮る気にはなれませんでした。

私は偶然にも、義兄の親戚の骨壺を見つけました。合掌し心の中でお祈りを捧げた後、骨壺の中を見せてもらいました。そこには、茶色く変色したガーゼが一枚入っているだけでした。

義兄の親戚はガダルカナル島で戦死しました。出征当時は結婚したばかり、奥さんを残して27歳でこの世と別離しなくてはならなかったその人生を思うと、「人生とは一体何なのか」と静かに考える自分がいました。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

越佐招魂祭のときの様子です。多くのお寺様が集まりお経をあげています。「南方の灼熱の大地に、あるいは北方の酷寒の大地に倒れし御霊よ」と大きな声で戦没者に語り掛けるところがとても印象的でした。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

冬の納骨堂です。雪が膝近くまであるため近寄ることができません。中で眠る兵隊さんたちもきっと寒いことでしょう。


(c)太平洋戦争とは何だったのか

 

どんよりした鉛色の空から太陽が覗く瞬間。
新潟の冬はいつも鉛色で雲が低く垂れこめているため、このような晴れ間は貴重な瞬間です。

 

アクセス

白壁兵舎広報資料館は、JR新発田駅から徒歩30分程度のところにあります。駅前のロータリーで待機しているタクシーで行くのもいいかもしれません。

かつて私の曽祖父たちもここから戦地へ行った連隊の資料館ということで、どの展示も胸に迫るものがありました。機会があれば他の連隊の資料館にも行き、その土地の若者たちがどのように戦争に赴いて行っていったのか勉強したいです。

 

写真撮影:Fumi



スポンサーリンク