【史跡】日本統治時代を忘れるなー台湾に唯一残る日本式神社、桃園忠烈祠

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こんにちは、Fumiです!

日本人にとって馴染み深い神社。皆さんも一度は訪れたことがあると思います。
実は台湾にも神社があるのです。今回は、台湾に唯一残る日本式神社、桃園忠烈祠を見学した時のことをレポートします。



台湾に唯一残る日本式神社

台湾に唯一残る日本式神社は「桃園忠烈祠」と言います。現在は台湾のために殉職された方々が祀られていますが、戦前は「桃園神社」として天照皇大神を祀っていました。明治28(1895)年4月17日から昭和20(1945)年10月25日まで日本は台湾を占領し、1930年代から台湾各地に神社の建設をはじめました。日本が撤退するまでの間に、200もの神社が台湾各地に建てられたそうです。
桃園神社は昭和13(1938)年6月10日に落成、鎮座式が行われました。

桃園神社桃園忠烈祠(桃園神社)の入り口です。この石碑の形が既に日本の雰囲気を醸し出していますね。

 

桃園神社「奉献」と書かれた大きな石。中央下部には台湾の方の名前が刻まれています。

 

桃園神社長い階段を昇ると…

 

桃園神社ドドーン!と、完全な日本式神社が現れます。鳥居の感じ、参道の両端に並べられた石灯篭、緑青の吹いた屋根、「ここは日本なの!?」と思ってしまうほど日本の神社そのものです。

 

桃園神社忠烈祠内の案内図です。建物の様式も配置も日本の神社とほぼ同じです。ここはまさに日本が台湾を占領していた事実を伝える「歴史の証人」と言えます。

 

桃園神社たくさんの絵馬が奉納されていました。人の願い事を見るのは失礼ですが、ちょっと見せてもらうと、健康祈願、恋愛成就、合格祈願など多くの神社で目にするような内容の願い事が多くありました。しかし、中でも一番多く見られたものが「台湾平安」。祖国台湾がもう誰からも支配されず、自分たちの力で平和と安全を作り上げていける国になりますように…そんな願いを強く感じました。

 

桃園神社台湾の皆さんの願い事が奉納された絵馬殿の近くには、こんな看板も立っています。「小心毒蛇」、日本語に訳すと「毒蛇注意」です!!ここの神社には毒蛇が出るようですね…

 

桃園神社「昭和十三年九月吉日」と書かれた石。この石が何を意味するのか案内がなかったため詳細は不明ですが、桃園神社が落成してニか月後の日付のため、何か記念を意味するものなのでしょう。

 

桃園神社手水舎です。しかし石の桶に水は入っていませんでした。

 

桃園神社立派な社務所です。中では今後公開される企画展示の準備が進められていました。社務所の他にも、同様な様式の平屋建ての日本建築が二棟ありました。それらは中に入ることはできませんでしたが、外から覗くと床の間や襖、押し入れなどが確認でき、外装だけでなく内装も日本建築であることがわかりました。

 

桃園神社青銅製のお馬さんです。腹部には菊の御紋が刻まれていたそうですが、現在は取られていて見ることはできません。

 

桃園神社両サイドの狛犬を観察しつつ階段を昇ると…

 

桃園神社神殿に到着しました。ここから先は撮影は禁止です。厳かな雰囲気の中、気を引き締めて奥へ進みました。



ガイドさんにお話しをお伺いした

神殿の奥に進んで見学していると、ガイドの男性が声をかけてくださいました。
彼は桃園市在住の頼国根さん。私の拙い中国語と英語に親切に対応してくださり、この神社について詳しく教えてくださいました。

まず質問されたことは「なぜここが完全な日本式神社として残っているか知ってる?」ということでした。私は「価値がある建物だから残された」と聞いたことがあったのでそのように答えましたが、彼から帰ってきた言葉は意外なものでした。

「日本に占領された歴史を忘れるなという意味だ。」

この言葉を聞いて、私は台湾の方々の気持ちを深く知らなかったことを恥じ、そして大変申し訳なく思いました。この神社の建築は台湾にはない建築ですので、確かに価値があると言えるでしょう。しかし、台湾の方々は、建築的価値というより歴史的価値が非常に高いからこの神社を完全な日本式神社として残したのです。そこには「日本に占領された50年間の辛さを忘れるな」という意味が込められています。

近年、台湾では日本のポップカルチャーが流行しており、若い世代を中心に日本に興味を持っている台湾人が多いそうです。しかし、戦争を知っている世代の台湾人は手放しで「日本を好きだ」とは言えないと頼さんは言っていました。

その大きな理由が、日本のトップからの台湾占領に対する謝罪がないことだそうです。

頼さんはこれまで台湾と日本の関係を詳しく調べてきましたが、「日本が謝罪をした」という事実はなく、4年前に日本の偉い人たちが桃園忠烈祠に来て参拝した時も「謝罪はなかった」と言っていました。この要因について、「現代の日本の若い人たちは戦時中に日本が台湾に何をしたか詳しく知る人が少ない。これも台湾人の心の傷をいつまでもうやむやにする原因になっている」と頼さんは考えているそうです。

頼さんは最後に、「日本人は菊と桜、どちらが好きか?」と私に尋ねました。
私はこの言葉はとても意味の深いものだと感じました。菊はつまり天皇の御印、菊の御紋です。戦時中に使用された武器や軍艦などには決まってこの菊の御紋が付けられていました。桜も日本を代表する花で、戦時中は「桜のように散る」など命を桜に見立てて表現された辞世の句などが多くありましたが、桜は今でも花見をする文化があり、菊より我々日本人の心にその存在が大きくあるように感じます。
ですので、私は「桜だ」と答えました。

頼さんは神社の出口まで送ってくださり、私が見えなくなるまで見送ってくださいました。台湾人は日本人のことや日本の文化をよく知っています。しかし、日本人はどれだけ台湾のことを知っているでしょうか?日本が台湾にした事実をもっと深く知り、台湾人の心の傷を知り、過去を認めて未来に伝えていくことが、我々現代を生きる日本人のするべきことだと感じた一日でした。

桃園神社

神社の裏にある日本の偉い人が植えた榊の木。

 

桃園忠烈祠へのアクセス

桃園忠烈祠へは、台鉄桃園駅から徒歩10分程度のところにある統領百貨店の前からバスに乗っていくことができます。バスは105Aに乗り、「桃園栄民医院」というバス停で下車します。下車後は右手に医院を見ながら道なりに歩くと5分程度で到着します。
台北市内からも桃園国際空港からもアクセスできる立地にあるので、ぜひ台湾北部へ行かれる際は行ってみてください。

撮影:Fumi





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