【史跡】「戦場にかける橋」の舞台に行ってきた-「泰緬鉄道」の今

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history for peace スタッフに新しくなりましたJudyです!私は中学生の頃に海軍の戦闘機搭乗員だった方の本を読んだことから戦史に興味を持ちはじめ、今では日本のみならず東南アジアの戦跡や戦争関係の博物館を訪問して勉強しています。これから、太平洋戦争に関する様々な記念館等の訪問記をお伝えしていきます。どうぞよろしくお願いします!

 

今回は、タイで泰緬(たいめん)鉄道の遺構を見学したときのことをお伝えします。タイは日本と一時期同盟を結んでいた関係で各地に戦跡があります。中でも有名な戦跡と言えば映画「戦場にかける橋」の舞台にもなった、カンチャナブリにあるクウェー(クワイ)川鉄橋です。



私はクウェー川鉄橋と近くの戦争博物館に行ってきたので、二つに分けてレポートしていきます。

 

タイからビルマへの道

泰緬鉄道は1942年、海上輸送の危険性を考えた日本軍がより安全に正確にビルマへ物資を輸送するために建設を開始した陸上の輸送路です。

 

建設はタイ側、ビルマ側の両方から進められ、建設開始から1年ちょっとという猛烈なスピードで完成させました。作業には、日本兵の他に連合軍捕虜(イギリス人、オーストラリア人、オランダ人、アメリカ人)、「ロウムシャ」と呼ばれた民間人労働者(タイ人、マレーシア人、ミャンマー人、インドネシア人)も多く使役されました。暑い中の過酷な労働や栄養失調のため、連合軍捕虜約1万2000人、民間人労働者約4万2000人が犠牲になったそうです。また、この鉄道建設を監督した陸軍鉄道隊には国際法を理解している人が少なかったことから、私的制裁もしばしば横行したそうです。
私が行った日も気温が39度と本当に暑い日でした。
こんな暑い中でも延々と作業が続き、雨季でも関係なく作業が続行されていたと思うと、作業従事者が体調を崩しても当然のことだと思いました。

 

泰緬鉄道のルート
(タイ・バンコク→ビルマ・ラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン))

泰緬鉄道のルート。完成までに非常に多くの死者を出したことから、海外では「Death Railway」(死の鉄道)として知られる。(作者 User:W.wolny+history for peace)

クウェー川鉄橋へ

カンチャナブリまでは車で連れて行ってもらいました。
前日はバンコクに宿泊していたためバンコクからの出発でしたが、渋滞にかからずスムーズに行けば2時間ちょっとで到着します。同行者で運転してくれた人はタイ人でしたが、「僕はタイ人だけどカンチャナブリまでの道は知らないよ。ナビしてね。」と走り出してから言ってきます!私はタイの道路事情には明るくないのですが、仕方ないので行きも帰りも頑張ってナビしました(笑)。

 

今回は私の頼りないナビのせいで道を何度か間違えてしまったため、到着まで3時間近くかかってしまいました。集中してナビしたので、次回は自分で車を運転してカンチャナブリまで行けそうです!

 

カンチャナブリはバンコクの大都会とは雰囲気が異なり、緑が多くて”THE東南アジア”といった感じがしました。

 

これはクウェー川鉄橋の最寄駅、クウェー川鉄橋駅です。ここでは改札を通らなくても駅の敷地内に入ることができ、線路に入ることもできます。日本では考えられないですよね!

 

かつての戦場へ続く道です。兵士や物資がこの道を通りビルマへ向かったと思うと、どんな思いでここを通過したのかな…と考えずにはいられませんでした。
お土産屋さんが立ち並び、タイの伝統文化であるソープカービングが多く売られていました。

 

橋のたもとまで来ました。このように大きな爆弾のモニュメントが両端にあります。写真を撮っているとき、近くにいたタイ人の何人かが「この人は日本人だ」と言っていました。この言葉に特に意味はないでしょうが、当時の日本人がここで何をしたのかを強く考えました。

 

これがクウェー川鉄橋です。メクロン永久橋という呼び名でも呼ばれていますね。映画「戦場に架ける橋」に出てくるような大きな橋を想像していましたが、思っていたよりこんじんまりしていました。

 

かつてここで空襲があった時、日本軍の兵士たちは捕虜や労働者を盾にしてこの橋を防衛したと近隣にある戦争博物館の展示に書いてありました。当時は本当に地獄絵図だったのでしょうね…

 

橋の上を歩いて対岸に行くことができます。途中、敷かれた鉄板が薄いため歩くと場所によっては板がしなります。板の間から下の川が見えるため非常に怖いです!!
高所恐怖症の私は対岸まで渡ることができず、途中で引き返してきました。この橋
は今も現役で使われている鉄道路線のため、日に何本か電車が通ります。待避所が設けてあるため電車が通過中も橋にいることができますが、これもスペースが狭く手すりも低めに作られているため非常に怖いです!!私は待避所に近寄ることさえできませんでした(泣)
対岸左側には華軍碑(かぐんひ)がありました。華軍とはつまり中華民国軍(現在の台湾軍)のことです。中華民国軍はイギリス軍の要請により、ビルマ防衛のためこの地へ派遣されました。しかし、日本軍と激戦を交えたものの連合軍の援軍がなかったため、多大な犠牲を出したそうです。この碑は、終戦後の中国国内の内戦によりこの事実が忘れ去られないようにという願いから建設されました。

 

 クウェー川鉄橋とクウェー川鉄橋駅
青=クウェー川鉄橋、紫(上方)=クウェー川鉄橋駅



実際に橋を見て感じたこと

クウェー川鉄橋に行って感じたことは、建設から74年経過していますが非常に頑丈な橋だということです。コンクリートも、橋上部にある鉄の半円形の部分も、今でもしっかりと橋を守っており、日本の技術を駆使し緻密に計算されて作られた橋なのだと強く感じました。

 

しかし、丈夫な橋の建設のために大きな負担のかかる工事を行い、多くの犠牲者が出たことを思うと、「この地に何万人の血が流れたのだろう」と思わずにはいられませんでした。

 

カンチャナブリは今は有名な観光地になり、世界中からこの橋を見に多くの人が来るそうです。私が行ったときは、タイ人が一番多く、次に欧米の人が多かったです。日本人はかなり少ない印象を受けました。

 

ここに見学に来る人たちは、どんな思いでこの橋を見学していたのか気になりました。クウェー川鉄橋は、今ではのどかな市場の風景の向こうに静かに佇んでいます。橋は何も言いませんが、今日まで多くの人の悲しみや苦しみを見てきたのでしょうね。

 

私は日本において勉強する戦史だけでなく、戦地となった海外の地に赴いてそこでの日本軍の事実を知りたいと考えています。カンチャナブリに行って感じたことは、かつての日本軍はこの地では恐怖の対象だったということです。これは戦争博物館を見学してさらに強く感じたので、別の記事にて詳しく書こうと思います。

 

<関連映画のご紹介:戦場にかける橋>

第2次世界大戦下のビルマを舞台に、日本軍のクウェー川架橋建設をめぐる男たちの闘いを描いた、アカデミー賞7部門に輝いた名作戦争映画(「Oricon」データベースより)。アマゾンでオンライン版またはDVD版を購入できます。ぜひご覧ください。

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写真撮影:Judy

 





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