【史跡】鎮守府司令長官の家とはどんな感じ?ー旧横須賀鎮守府司令長官官舎を見学した

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こんにちは、Fumiです!

桜が散り新緑が少しずつ輝き始めた4月9日、旧横須賀鎮守府司令長官官舎の見学に行ってきました。横須賀は戦前、海軍の一大拠点が置かれていたため、今でも当時の面影を感じることのできる場所が多くあります。今回は、普段は公開されていない旧横須賀鎮守府司令長官官舎を見学した時のことをレポートします。



この土地は元々は海軍刑務所だった!

いきなり衝撃的な見出しですが、この衝撃の歴史を当館の館長さん(海上自衛隊横須賀地方総監部の現役自衛官さん)が教えてくださいました。私が見学に行った日は平日で来館者がまばらだったこともあり、館長さんが直々にこの建物の歴史や戦時中の海軍について詳しく教えてくださいました。普段聞けないことや自分では調べきれないことを教えていただき非常にありがたかったです!

京浜急行県立大学駅から丘を登ること約10分、東京湾を一望できる静かな住宅街にこの赤レンガの外壁が美しい旧横須賀鎮守府司令長官官舎は建っています。元々は海軍刑務所でしたが、1913年(大正2年)に鎮守府司令長官官舎が建設されました。現在は田戸台分庁舎という名前で呼ばれています。

こちらはこの建物の企画設計を担当した桜井小太郎氏の紹介パネルです。桜井小太郎氏は、ロンドン大学で学び日本人初の英国公認建築士の称号を得た人で、帰国後は海軍技師ととなり呉や横須賀の海軍で建築科長を務めました。この旧横須賀鎮守府司令長官官舎の他に呉鎮守府司令長官官舎も設計しており、呉鎮守府司令長官官舎は「入船山記念館」として公開され国の重要文化財にも指定されています。

こちらは歴代横須賀鎮守府長官たちの一覧表です。つまり、ここ旧横須賀鎮守府司令長官官舎に住んだ人たちです。今回は個人の略歴紹介は省かせていただきますが、岡田啓介、野村吉三郎、嶋田繁太郎、豊田副武、そして米内光政…すごいメンバーです!(鎮守府長官になる方々ですから当たり前ですね!)

これらは館に入ってすぐの玄関ホールに展示されていました。右手に行くとダイニングルームやピアノ、サンルームがあり、左手に応接室があります。応接室は現在、戦史の展示室として公開されています。

 

海軍の歴史を学べる応接室

玄関から左手に進み、戦史が学べる応接室に入ってみました。こちらでは海軍に関する歴史を学ぶことができ、歴史的資料をたくさん見ることができます。

こちらは広瀬武夫中将が旅順港口閉塞作戦のときに書いた手紙です。漢詩人としても有名だった彼はこの手紙に七生報国から始まる四言古詩を書きましたが、その後戦死されたためこれが遺作となりました。彼の死については軍歌「広瀬中佐」で詳しく歌われているため、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

こちらは山本五十六が日米開戦前、アメリカに宛てて書いた手紙です。館長さんの説明によると、彼はこの手紙の中に「本当はアメリカと戦争はしたくない。しかしやるからにはとことんやる。」といった内容を書きましたが、アメリカのメディアは「本当は戦争をしたくない」という内容は無視して「とことんやる」といった内容を前面に押し出して報道したそうです。私は当時の新聞を読んでいないので真相がどのようなものであったかは推し量ることしかできませんが、これが事実だとしたら、とても悲しい両国の認識の相違だったと思いました。

これは山本五十六の名刺です。非常に達筆ですね!この他にも、戦艦大和のプラモデルが展示されていたり、終戦までの海軍の歴史を勉強できる展示室になっていました。

 

貴重なステンドグラスが美しい館内

館内には至る所に美しいステンドグラスがはめ込まれ、当時の海軍の西洋文化を取り入れた様子を垣間見ることができます。このステンドグラスは、日本のステンドグラス作家小川三知(さんち)の作品です。彼の作品のほとんどは関東大震災や戦争により失われてしまい、現存する作品は非常に少ないそうです。そのため、この館に残るステンドグラスは彼の初期の作品であることから、大変貴重なものなのだそうです。

これは建設当時客室に設置されていた孔雀のステンドグラスです。作られてから100年以上経った今でも、美しさと繊細な輝きは失われていません。

こちらはダイニングルームとサンルームの間にあるステンドグラス。瑞々しいブドウのステンドグラスは、食事の空間を彩るのにまさに打って付けと言えますね!

室内だけでなく、外にもステンドグラスがありました。小さなチューリップが可愛いステンドグラスです。

こちらはダイニングルームの全景です。非常に広いです!海外から来賓が来ても、ここでパーティーが開けたのでしょうね。

奥には歴代鎮守府長官の写真が飾られていました。

ダイニングルームの前にはスタインウェイ社製のグランドピアノが置かれています。このピアノ、なぜこの旧鎮守府長官官舎にあるのか明確な経緯がわかっていないそうです。しかし、昭和初期にドイツで製造されたものと判明していることから、海軍の将校が輸入したものなのではないかと考えられているそうです。現在もコンサートのときに演奏されており、現役で使用されています。

ダイニングルームの横からは、このように鴨居の低い廊下が横から奥に伸び、一回の奥の部屋を見学することができました。この鴨井の低さを見ると、当時の人たちの身長が低かったことが想像できますね。筆者は身長が166cmですが、鴨居の下に立って見上げると頭上に僅かな空間しか残っていなかったため、地上から鴨居までは170cmくらいかなと思いました。

廊下の奥には、旅館の一室のような和室が二部屋ありました。階段で二階の部屋にも移動できるようになっていましたが、公開は一階部分のみでした。



庭に残る防空壕

外に出て庭を見学することもできたので、外に出てみました。

和洋折衷の建物が非常に美しいですね。ここがかつて海軍刑務所だったなんて思えません!私は刑務所というと現代の大きな刑務所を想像していたので、海軍刑務所は非常に小さな敷地だったことに驚いたと館長さんに言うと、「海軍刑務所に入る人たちは、例えば上官を殴ったとか軍規違反をした人たちです。たくさんいたら日本海軍、軍規乱れまくりでしょ~!!」と言われました!(笑)確かに軍律厳しい日本海軍、刑務所に入る人が多かったら軍として成り立たないですよね!

庭には四季折々の風景を彩るたくさんの木々や植物が植えられ、緑豊かな美しい景色を見せてくれていましたが、上記の写真のような空間を見つけました。今では中に看板や資材が置かれていますが、これは奥まで続く防空壕なのだそうです。

防空壕は二つあり、先ほど紹介した防空壕は防空壕Aです。内部に入ることはできませんが、内部を撮影した写真が長官官舎内に展示されていました。

こちらは防空壕Aの内部写真です。この写真を見ると、内部はかなりしっかりした作りであったことが感じられますね。

写真右手に赤いカラーコーンがありますが、かつてはここにも防空壕の入り口があったのだそうです。こちらは防空壕Bとして紹介されていました。

こちらが防空壕Bの内部写真です。防空壕Bには何室かあり、防空壕Aよりも規模が大きいことから、防空壕Bは作戦会議など重要なことにも使える壕として作られたのではないかと考えられているそうです。長官官舎の建物も庭も贅を尽くした美しいものですが、このように防空壕が二つもあることを考えると、ここは紛れもなく軍の敷地であり、戦争の時代に使われた場所であることを感じさせられました。

今では旧横須賀鎮守府司令長官官舎の庭から、このように美しい横須賀の街と東京湾を見渡すことができます。かつてここに住んだ横須賀鎮守府長官たちは、どのような思いでこの海や街を眺めたのでしょうか。二度とこの庭の防空壕が活躍することがないよう、そしてこの庭の防空壕が使用された時代があったことを忘れないよう、私たち若い世代に何ができるのかをこの景色を見ながら考えました。

 

アクセス

田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府長官官舎)は、京浜急行県立大学駅から徒歩10分程度のところにあります。駅を出たら左手に進み、電車のガードをくぐったらお寺まで歩き、お寺を左手に曲がって5分ほど直進するとあります。普段は公開していませんが、たまにイベントで公開されています。ぜひ機会がありましたら見学されてみてください。

文・写真:Fumi





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