飛行する実物の零戦に、当時の若者たちの悲しみや苦しみを感じた

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こんにちは、Judyです!

昨年(2017年)の6月に千葉県で開催されたレッドブルエアレース、皆さん行かれましたか?この大会には、日中戦争時に登場し太平洋戦争終結まで使用された日本の有名な戦闘機「零式艦上戦闘機」(零戦=れいせん、ゼロ戦)がアメリカから里帰り飛行したことでも話題になりましたね。



私が戦史の勉強を始めることにしたきっかけの一つが零式艦上戦闘機、零戦です。今回は、実際に飛行する零戦を見たときの感想をお伝えします。

 

今まで抱いていた零戦のイメージ

私が戦史を勉強し始めたきっかけに、零戦の搭乗員だった坂井三郎氏の著書「大空のサムライ―かえらざる零戦隊」を読んだことが挙げられます。

 

私がこの本を初めて読んだのは中学2年生のときです。隣の席の男子がこの本を読んでいたため、私もなんとなく彼から貸してもらって読みました。

それまでは日中戦争や太平洋戦争については歴史の教科書でしか知らなかったため、この本を読んだことで歴史の教科書には出てこない壮絶な日々があったことを初めて知りました。同時に、「この戦争の根になる部分はなんなんだろうか?」と思うようになりました。

私が大空のサムライを読んだことで感じていた零戦のイメージは、「大空が死に結び付く、悲しい歴史を持つ飛行機」でした。当時の技術者の知恵が集結されて作られた有能な飛行機であるはずなのに、その目的は戦争で敵を倒すためのもの。そして、当時の少年たちの憧れであった戦闘機搭乗員は戦争末期には多く特攻に投入されたという歴史的背景があることから、悲しい飛行機というイメージがありました。このイメージは、後に茨城県の予科練平和記念館に行ったことでも強くなりました。



実際に飛行する零戦を見て感じたこと

零戦というと、靖国神社にも展示があるこの52型を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?


(c)太平洋戦争とは何だったのか

今回日本に里帰りした機体は22型でした。この機体はニューギニアに落ちていた残骸から復元されたもので、世界に現存する4機のうちの1機だそうです。操縦はアメリカ在住でパイロット養成学校の教官をされている日本人が行っていました。

こちらが飛行する零戦です!

スマートフォンのカメラで撮影しているため画像が鮮明ではなくて申し訳ないのですが、様子が伝わるでしょうか?

ゆっくりと飛行していたからか、思っていたよりもエンジン音が重低音で、レース機の「ビーン」というエンジン音に比べると「ボボボ」といった断続的なピストン音がするように感じました。

飛行は、富士山を背景に夕日の輝く東京湾を千葉市方面に飛んできて展示飛行スタートとなりましたが、その姿が本当に美しく、同時にこの飛行機が辿ってきた運命を表現しているようで涙が出ました。

ちなみに、こちらは室屋義秀選手の操縦するレース機の飛行風景です。零戦に比べると機体が小さく、かなりスピードを出しているからかエンジン音が高音に聞こえますね。

レース機は全体的に小型でシャープなデザインのものが多い印象を受けましたが、零戦はそれに比べると大きく、カウリングの丸みが夕日に映えて特徴的な姿を見せてくれていると思いました。足は引き込み式のようですが、私が見たときは出たままでした。何回か旋回して観客の前を飛んでくれましたが、大きくバンクを振っていて、観客に「日本に帰ってきたよ」と挨拶しているように見えました。

 

零戦からのメッセージ

実際に飛行する姿を見て、純粋に飛行機として美しい機体だと感じました。しかし、この機体がこうして日本に帰ってくるまでに、搭乗員と共にどのような運命を辿ったのかと思うと、心が苦しくなりました。

本当はそうでなくても、戦争の時代に生まれたばかりに「戦争は正義であり日本は正しい」と教えられ、戦争に行くことに疑問を感じなかった若者が戦前は多くいたことを大空のサムライを読んで知りました。私は、そういった当時の若者は時代の被害者なのではないかと感じています。この零戦の飛行姿を見て、そんな当時の若者たちの悲しみや苦しみが聞こえてくるような気がしました。

戦史を勉強するにおいて、先の大戦で起こった本当の事実を知り、それを全て受け入れた上で第三者的な目で日本の歴史を学ぶ必要があると感じています。零戦の飛行は数分間でしたが、その数分間で戦時期にあった多くの悲しみの声を私たちに投げかけていたように感じました。

 

動画撮影:Judy

 





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