安全保障の非軍事的手段

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新訂第5版 安全保障学入門 pp.340~pp347 「安全保障の非軍事的手段」より抜粋

 

1.非軍事的手段の有用性

  • 軍事力は国家の安全保障にとって中核的手段であり、他のいかなる手段もこれを完全に代替することはできない。
  • しかし、軍事力が絶対であるともいえない。軍事力の有用性はあくまで相対的なもの。核兵器の出現と相互依存の進展により、軍事力による安全保障の妥当性と有用性が低下。一方で非軍事的手段によって代替可能な領域は拡大している。
  • 軍事的手段と非軍事的手段を組み合わせ、いかに最適な安全保障水準を維持しうるかが重要な政策課題となる。

 

2.陥りがちな誤り

  • 非軍事的手段の有用性
    • 軍事的手段と比べて非軍事的手段の費用が小さいために、非軍事的手段の効用を過大評価しがち。破壊能力が増大した兵器と経済力の費用比較など。経済力によって紛争の原因を除去したり紛争を未然に防止することは可能でも、いったん発生した紛争を処理することはできない
  • 軍事的手段の有用性
    • 軍事的手段の費用を過小評価するために、非軍事的手段の効用を認めないことがある。軍事技術の発達により、兵器のコストパフォーマンスが向上。ただし費用の算定方法が問題になる。軍事的手段の費用には、兵器の購入や生産に直接費やした実質費用に加え、そのために得られなかった報酬=機会費用、実際に軍事力が行使された場合の人命の損失・モラルの荒廃・国内制度の弱体化といった諸費用も含まれる。
      • 効用とは、費用(入力)と便益(出力)との比較によって判断されるべきもの
    • 非軍事的手段では期待した効果を達成できる確率が低いために、有用性を過小評価することがある。例えば、経済制裁によって侵略行動が阻止されたという前例がほとんどない以上、経済制裁の有用性は低いという指摘。しかし、ここでは費用が考慮されていないうえに、他の手段との比較もされていない
      • いかに経済制裁の成功の確率が低くても、他に手段が存在しなかったり、他の手段と比較して効用が少しでも大きければ、それは有用な選択肢といえる。
      • 効果とは、効用を決定する二つの要素のうち、便益・出力にのみ注目した概念。その使用はあくまで目標の難易度に応じて行われるべきもの。
  • 非軍事的手段の有用性は、あくまで具体的な対象と目標に応じた効用(費用対効果)、そして軍事的手段との比較効用の見地から判断される必要がある。

 

3.具体的手段

(1)経済的手段

  • 経済的手段が持つ安全保障上の役割
    • 1)軍事力の保持を可能にする物的基盤を提供すること
      • 1国の軍事力を規定するのは、基本的にはその経済力。名目GDP(ドル換算)で世界の上位10か国のうち7か国は軍事支出でも上位10か国にランクインし、世界の軍事支出総額の約64%を占める。
      • 1985年から2017年までの間に、GDPに占める軍事支出の世界平均値は6.7%から1.99%へと低下したが、国別にみるとオマーンの12.08%からハイチの0.08%まで開きがある。
    • 2)国民の欲求を充足し、社会的対立を緩和することで、国内の秩序や体制を脅かす間接侵略を予防すること
      • 一般に、社会が貧しければ貧しいほど紛争は激化しやすい。停滞的社会では限られた資源をめぐるゼロ・サムゲームが展開されるため。
    • 3)望ましい国際環境を整備するための政治・外交的道具としての役割
      • 貿易や対外援助は、経済的必要と依存を利用した影響力行使の手段となる。一般的に依存の程度は、①一方のアクターが他のアクターの提供する財を必要とする程度(利害関心度)、②その財を別の財や別の供給者で代替できる可能性(代替可能性)、の2つによって決定される。
      • 一国の潜在的な影響力は、相手国の利害関心度に比例して増大し、代替可能性に反比例して減少する。

(2)心理的手段

  • 大衆の政治参加が拡大し、諸国民間の交流が増大するにつれ、大衆の態度と行動が国家の安全保障政策に死活的な影響を与えるようになってきた。
  • そこで、安全保障上の利益を支持するような「知的信念」、「道義的評価」、および「感情的嗜好」を国家の側から直接・間接的に醸成し、形成する心理的手段が重要性を増している。

世論を形成したり操作する方法として、大きく分けて1)広報と2)宣伝がある。

  • 1)広報

    • 政策意図に対する有害な誤謬と歪曲を是正し、誤った判断を防ぐためのデータと事実を提供すること
    • 情報の受け手に判断を委ねる
    • 自国に好意的な国際イメージを形成したり、相互理解を深めるための文化交流なども、広い意味での広報活動の一環と言える。
  • 2)宣伝

    • 宣伝者の利益に合致するように相手の態度を変えることを目的とし、伝えられる内容は客観的な事実や情報であるとは限らない
    • 受け手の判断に直接影響を与える
    • 宣伝の核心はそれが真理であるかどうかよりも、真理であると信じさせることにある
    • 宣伝が効果的になる条件(ホルスティによる)
      • ⅰ 宣伝が特定の対象にとって主要なあるいは唯一の情報源である場合
      • ⅱ宣伝の送り手と少なくとも幾分か同じ態度を共有している人々に向けられる場合
      • ⅲ比較的柔軟な信条や態度を持つ青年層と無関心層に対する場合
        →宣伝は明確な判断や意見形成の脆弱さを利用した手段
  • 広報と宣伝の比較

    • 従来、安全保障の手段としての重点は宣伝活動に置かれてきた。特に宣伝を本格的に活用してきたのは、政府が通信手段を独占する全体主義国家において。
    • 民主主義国家では、信ぴょう性の高い情報を求める議会や報道機関の圧力が働くので、露骨な宣伝活動はむしろ不信と批判の対象となりやすい
    • 著しく歪められた事実や操作された情報はかえって宣伝者の信頼性を失わせることになる
    • 宣伝に客観性が求められるようになるにしたがい、広報との区別はきわめて曖昧になりつつある
    • 宣伝に内在するゼロサム的視点を超えて、妥協を見出すための手段たる広報の役割が急浮上している
    • 軍事安全保障分野では、防衛白書の公表などによる透明性の向上や信頼醸成を構築する試みが重要性を増している
  • 3)情報技術

    • 情報技術は、自国の理念、イデオロギー、文化、経済・社会・政治システムを広くアピールするための手段として最近その重要性が認識されてきた。
    • 情報を収集、処理、応用、拡散する能力が決定的な役割を果たしつつある。

 

4.おわりに

  • 安全保障という概念は、軍事・非軍事の両側面を含む広範な意味を持つが、非軍事的側面を議論する際、守るべき目標や対処すべき危機に関して考慮すべき範囲をどこまで拡大すべきかについてはまったくコンセンサスが存在しない。
  • 様々にある国家政策の中で、安全保障は最も優先順位の高い政策領域であるため、非軍事的側面の範囲を設定すること自体が政治的な意味を持つ。
  • 今後は安全保障の非軍事的側面の限界を設定するためのより緻密な議論が必要となるだろう。

 

出典:新訂第5版 安全保障学入門 pp.340~pp347



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