日本では、8月15日が毎年の終戦記念日とされます。72年前(1945年)のこの日、正午にラジオで天皇の「終戦の詔書(しょうしょ)」の朗読(録音)が放送され、国内外の臣民(国民)に降伏が伝えられたためです。
しかし、日本で一般に認識されている「終戦の日」と海外のそれとは異なります。それはなぜでしょうか。また、日本の「終戦記念日」はどう考えるべきなのでしょうか。
正式な「終戦日」は9月2日
ここで、終戦に至る経緯を簡単に振り返ってみましょう。
1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆が投下され、9日未明にソ連が満州へ侵攻。ソ連侵攻を受け、9日午前10時30分より「最高戦争指導会議」が開催され、今後の方針を検討している最中、長崎へ2発目の原子爆弾が投下されます。
会議は続くも、徹底抗戦を主張する軍部と降伏(ポツダム宣言受諾)を主張する首相・外務大臣等が対立し、結論は出ませんでした。そして8月10日未明、天皇の裁断により、ポツダム宣言受諾を決定。その日(10日)中に連合軍へラジオ放送ならびに中立国を通じてその意向を伝達しました。
特に軍部がこだわったのは、降伏後の天皇の地位の保証(国体の護持)です。これについてポツダム宣言では意図が不明瞭だったため、アメリカへ意図を打診(複数回)をするなどし、3日ほど経過。国体護持について確証は得られなかったものの、改めて天皇の意思により、14日、「終戦の詔書」(正式名称:大東亜戦争終結ニ関スル詔書)を発布し、連合国へも正式にポツダム宣言受諾を通達しました。
翌15日正午、ラジオにて国内外に向けて天皇の詔書朗読の録音を放送(玉音(ぎょくおん)放送)。翌日、正式に停戦命令が下されました。一部部隊では反発もあったものの、前線では順次停戦に入り、武装解除が行われました。
8月30日に連合軍総司令官のマッカーサー大将が厚木飛行場(神奈川県)に到着。9月2日に連合国(9か国)との間で降伏文書の調印が行われました。正式にはこの時が太平洋戦争(大東亜戦争)が終わった日になります。
💡 参考記事 ➡ 【太平洋戦争の終結】降伏文書の調印
戦闘と、名状しがたい混乱が続いた満州・樺太・千島方面
ソ連と対面していた地域では様相は全く異なりました。満州は8月9日未明から、樺太は16日から、千島は17日から、ソ連の侵攻を受けました。ソ連の侵攻は、9月5日に千島列島の色丹島を占領するところまで続きます。
満州では、関東軍将兵を中心に日本人約60万人が8月15日以降に拉致され、最長で11年にわたり極寒のシベリアで強制労働につかされました。極寒、飢え、重労働に耐えかね、約6万人が亡くなったとされます。
法的にも事実上も根拠のない8月15日「終戦記念日」
以上のように、法的にも事実上も、8月15日の段階では戦争は終わっていません。8月15日は、日本が国内外の日本国民(当時は「臣民」と言った)に向けて降伏の表明をした日です。外交ルートを通じては、既に8月14日に各国にポツダム宣言受諾を通知しており、こちらを「終戦記念日」と考えることもできます。「玉音放送」は、終戦のための重大な「イベント」ではありましたが、本当の終戦に向けたプロセスの一部でしかありません。玉音放送が流れるラジオの前で国民が泣き崩れる、その情景がもたらす感傷が、私たちに8月15日をもってして終戦記念日を納得させているのではないでしょうか。
作家の保阪正康氏は以下のように述べています。
…だが「戦争が終わった日」は、八月十五日ではない。ミズーリ号で「降伏文書」に正式調印した九月二日がそうである。いってみれば八月十五日は、単に日本が「まーけた!」といっただけにすぎない日なのだ。
世界の教科書でも、みんな第二次世界大戦が終了したのは、九月二日と書かれている。八月十五日が「終戦記念日」などと言っているのは、日本だけなのだ。
事実、対日戦勝記念日(名称は各国によって異なる)は、アメリカ、イギリス、ロシア、フランスは9月2日、中国、中華民国(台湾)は9月3日となっています(9月2日の翌日から戦勝の祝賀を行ったため、その初日を記念日とした)。韓国と北朝鮮は、8月15日を日本からの解放を祝う日としていますが、当時朝鮮半島は日本領だったため、直接日本と交戦していた他の連合国とは意味合いが異なります。
出典:Wikipedia 終戦の日、東洋経済ON LINE 日本人だけが8月15日を「終戦日」とする謎
しかし、既に日本人に定着している終戦記念日にそれほどの問題があるのか、という意見も多いと思います。9月2日は形式上の終戦日であり、実質的に8月15日で日本が戦争を止めるということが全国民に周知された。当時の国民にとって天皇の声が直接届く玉音放送は衝撃的で、日本人の心に深く刻み込まれた一日である。戦場では、戦線の一部をのぞき8月16日から本格的に停戦が始まり、多少のトラブルはあったものの、全体的には順調に降伏は進んでいった・・・などです。
それでは、戦争の一番の当事者である日本が、開戦日と同じく戦争の歴史上最も重要な日の認識があやふやなままでよいのでしょうか。8月15日は、言うなれば大日本帝国元首による「降伏宣言日」です。あえて記念日という言葉を使うならば、国民全体が敗戦を認識した、「敗戦記念日」となるでしょう。したがって、日本は終戦記念日を9月2日にすべきと考えます。
独りよがりの「感情優先」を超えて
8月15日を「終戦記念日」とする姿勢からは、客観的事実よりも自分たちの心情を優先する日本人の傾向が読み取れるのではないでしょうか。これが日本国内だけのことであれば、自分たちの感情を優先して決めてもいいかもしれません。しかし、戦争は国際的に起こるものです。相手がいる話ですから、自分たちの一方的な気持ちで国内向けの「終戦記念日」にばかり目を向け、本当の「終戦日」のことはほとんど忘れている、そのようなことでよいとは思えません。
終戦記念日は、戦争の「ゴール」(日本にとっては破滅的だったが)であると同時に、「戦後」のスタート地点です。天皇がラジオ放送で国民に話しかけた時ではなく、連合国相手に降伏文書に日本政府代表が署名をした時から「戦後」はスタートしました。なぜなら、日本の戦後は「降伏文書」の内容に沿って運命付けられたからです※。スタート地点を間違えていて、「戦後」を正確に理解することができるのか、はなはだ疑問です。
※降伏文書の概要ならびに全文は ➡ 【太平洋戦争の終結】降伏文書の調印
<より深く考えるために>
「あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)」は、太平洋戦争を大きな視点で捉えなおそうとする一冊です。何を目的とした戦争だったのか。なぜ負けたのか。私たちは「あの戦争」にどう向き合うべきなのか。著者の意見への賛否は分かれるところでしょうが、この本は改めて歴史を見つめなおす材料となるでしょう。
photo: wikimedia, public domain
トップ画像:降伏文書に調印する重光葵全権代表
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