【インタビュー】田所智子さん(戦場体験放映保存の会 事務局次長)-ボランティアだけで作った2600人の戦場体験記録


 

去る2017年6月23日(金)~25日(日)、東京・浅草の浅草公会堂にて、「沖縄の戦争展」が開催されました。

このイベントは、数多くの沖縄の戦争証言の展示と同時に、体験者を囲んで生で話を聞く「茶話会」(さわかい)と、「地上戦の民間戦災者はなぜ放置されてきたか」というセミナー(23日夜)が開催されるという大掛かりなものでした。

およそ800名の参加者が集い、大盛況だったこのイベント。主催団体である「戦場体験放映保存の会」事務局次長の田所智子さんに、会の活動について詳細に伺いました。

 

もくじ

1.市民が主体で発信できる市民メディアを作りたい

2.20代から90代までが揃う、全員ボランティアの多様なチーム

3.体験を「手に取りやすいもの」にすること、そしてそれによって「失われるもの」

4.一人ひとりの関わりは薄くても、たくさんの人が関われる会にしたい

 


 



 

1.市民が主体で発信できる市民メディアを作りたい

 

―どのような経緯で設立されたのでしょうか?

元々は戦争体験とはちょっと離れたテーマで、2003年くらいから市民メディアを作ろうという動きから始まっています。YouTubeとかが出てくる前で、動画が発信できるようになった走りの時代です。上田哲さんという、NHK出身の元国会議員だった人が中心にいたということもあって、動画が使えるってなった時に、直感的にそういうことであれば今まで作れなかったメディアみたいのが作れるぞってなったんです。そういう仕組みはできるぞ、と本能的に分かったんですね。市民が主体で発信する市民メディアみたいなものが作れると感じた。だけどそんなにいくつものテーマに取り組めるわけではないということが分かってきました。

今の、元日本軍兵士(以降「兵士」と表記)の話を伺うスタイルになったのは、夏場に戦争の体験者の話を聞くという番組を作ろうとしたときに、サイパン島の体験者の方の話を聞いたところからでした。そのサイパンの体験者の方が、最後投降をされたから生きておられるんですけども、会の設立のきっかけになったのは、じつはこの人の投降をどうとらえるかという問題がありました。

当時集まっていた年代が幅広かったので、年代ごとに「投降」の捉え方に差があったんです。若いメンバーとしては、もう何もなくなって、200人の部隊が2、3人しか生き残っていない状態での投降だから、それは投降してもおかしくないだろう、という感じで、投降するというストーリーに何の疑問もなかったんですよ。

 

世代ごとに違う戦争体験の捉え方が、活動内容を決めるきっかけになった

それで帰ってきたら、上田さんはじめ、「なぜ投降のところの経緯をもっと聞かない、投降するっていうことがどういうことかわかっているか」というように、戦争を知っている世代はそこをとても気にしたんです。戦争を知っている世代と知らない世代の違いというのはこういうことかということが、印象的に分かりました。

集まっていたメンバーも、それなりに戦争の話はどこかで聞いたことはあるようなタイプの人間だったりしたのですが、それでも世代間で戦争が伝わっていないというのはこういう感じか、と。あれもこれもできないので、兵士の戦争体験の聞き取りを集中的にやろうと、わりと自然発生的にテーマが絞られていったんですね。ちょうど2005年が戦後60年だったから、2004年の末、戦後60年の直前くらいに会を立ち上げた格好になりました。

当初は、動画を撮ってインターネットに配信していこうという発想だったから、若い戦争を知らない世代がメンバーには圧倒的に多かったです。そこで、身の回りにいる語り部の人たちに一通り体験を聞き終わった後、話し手をどうやって広げていこうかということが課題になりました。

その時に、今まで話をしてくれた体験者の人たちが、話をしようという呼びかけは自分たちの方がして、事務的なこととか、動画を撮ってインターネットに乗せるとかは、若い世代がやったらいいんじゃないかという話になったんです。だから会を立ち上げてわりと早々なんですけれど、2005年の夏には元兵士と一緒にやるという活動スタイルになったんです。これがうちの会が話をしてくれる人を広げられた大きなきっかけですね。

 



 

3年間で47都道府県を回った、戦場体験の聞き取り「キャラバン」

―「キャラバン」という活動をされてきたそうですが、どのようなものでしょうか?

全国から証言を集めるために、各地で聞き取りをやってきました。それを「全国キャラバン」と呼んでいます。2010年から始めました。そこまではほとんど関東圏中心で聞き取りをしていて、集まっている話にも偏りがあるなという感じがし出したんです。戦前・戦時中は本籍地主義で、本籍のある場所の連隊に入り、それから戦地に行っているから、東京の連隊の人の話ばかり聞いていると、聞ける話に偏りが出てしまうんです。

それで、全国を回って聞き取りをしようということを2010年から意識的に始めました。今でもやめたわけではありませんが、全国キャラバンとして集中してやったのは最初の3年で、この3年で47都道府県を、濃い薄いはありながらも一応全部回りました。やっぱり出てくる体験の質自体も違ってきましたよ。地方の方が話し方は「濃い」かもしれない。東京の人はもうちょっと丸めて話すというか(笑)。地元の人に対しては同じペースでは話さないのかもしれないです。外から来た、話を聞くことを専門としている人間だから、話しちゃうということもあるのかもしれません。その時だけのお付き合いだし。

 

―3年で47都道府県回られたんですか!?すごいですね。

立ち上げの時に上田哲さんが、15万人聞くんだとか言い出したんです(笑)。まだ30人くらいしか聞いていないときに。そういうタイプなんです(笑)。「えー!」みたいな感じだったんですけれど、あの目標設定がなければたしかにこの規模感にはなってないと思います。

310万人が亡くなり、外地からの復員兵だけでも311万人がいるということを考えたら、それに対してふさわしい証言の残り方はどのくらいの数か、という発想から来ているんですね。その時にまだご存命の方が、外地に行っていた方だけでも50~60万人くらいいるだろうと、総務省や厚生労働省に聞いて計算しました。特別な話だけを集めるのではなくて、みんなの声を集めるという姿勢の表し方とか、そういう意味で15万人という目標を言ったようです。

 

聞き取りの「量」で「質」を凌駕する

そういう発想で始まったから、とにかくブルドーザーのように聞くぞ、のような感じというか、一人一人の出会いを大事にはしつつだけれど、とにかく規模も大事だと。ひとりひとりの記憶だから、その人が話せること、見聞きしたことしか話せないわけです。そうすると記憶違いもあるし、その人がたまたま見聞きしたこと、していないことで話のブレも出てくるから、それをある程度量で質を凌駕しようという発想です。

たくさんあれば、大体その時その地域はどういう状況だったのかということが見えてくるからということで、それくらいの人数でいこうと、上田さんがかなり強く引っ張ってくれたのです。まだそんな規模には全然なっていないですけれどね。

これまで聞き取りをしたのは、証言映像としては1700人分くらいです。それ以外に手記や絵、遺品、私家版の本などを寄せて頂いた人がプラス1000人くらい。手記も数ページもののとかお手紙に近いものから、身内だけに100冊作った本みたいなものもあります。そのようなものを含めると、2600人分くらいになります。

たしかに、できることをコツコツと、と言っていたら、1000人などの大台は越えなかったと思いますから、そこは15万人とか無茶なことを言う人がいたおかげなんです(笑)。いわゆる有名な戦闘とかを体験した人も、それくらいいると自然と入ってくるようになります。全員を聞きに行くぞという感じで総ざらいで聞いていて、そうすれば結果的に開戦の真珠湾攻撃を体験した人もいれば、ミッドウェー海戦の経験者もいる、みたいなことに結果としてはなりました。

 


戦場体験放映保存の会では、キャラバンで聞き取りを重ねて来られた中から、24名分の戦場体験を収録した「戦場体験キャラバン: 元兵士2500人の証言から」を2014年に出版(彩流社)。日中戦争、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、沖縄戦、そしてシベリア抑留まで…。壮絶な戦場の様子が、元兵士の生の声で甦ります。

 

 

次は ➡ 2.20代から90代までが揃う、全員ボランティアの多様なチーム

 



 




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