【記念館】アリゾナ記念館-真珠湾攻撃犠牲者を慰霊する象徴的存在

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ハワイ・真珠湾の歴史施設の目玉と言えば、「アリゾナ記念館」でしょう。2016年12月には、オバマ大統領と共に、日本の現職首相としては初めて安倍晋三首相が訪問したことでも注目されました。また2017年11月には、トランプ大統領がアジア歴訪の前に立ち寄り、”Remember Pearl Harbor”とツイートしました…😹

 



「アリゾナ記念館」は、日本軍による真珠湾攻撃の中で約半数の死者を出し、現在も沈没したままになっている「戦艦アリゾナ」の上にある、白い慰霊施設のことです。

記念館には、「パール・ハーバー・ビジター・センター」横の桟橋から専用のボートに乗って行きます。ボートに乗るには、有料チケットを買う必要があるほか、乗船前に約15分のビデオを観ることが必要です。また、桟橋に続く道には、真珠湾攻撃を解説する資料館があります。こちらは無料で、観なくてもアリゾナ記念館に行くことはできますが、真珠湾攻撃をアメリカがどのように見ているのか、日本にいてはなかなか分からない視点が多いので、ぜひご覧になることをお勧めします。ここでは、資料館からご紹介します。

※ビジター・センターを抜けてからアリゾナ記念館と逆側に進むと、潜水艦「ボーフィン号」の実物展示があります。詳細は ➡ 【博物館】潜水艦ボーフィン号-対馬丸を撃沈した「真珠湾の復讐者」

 

1.資料館

資料館の展示は「A Gathering Storm」(吹き寄せる嵐)と「Day of Infamy」(不名誉の日)の、大きく二つのセクションに分かれています。

 

「A Gathering Storm」(吹き寄せる嵐)

このセクションは真珠湾攻撃に至る道のりを描いています。入り口には、以下のパネルがあります。(訳:管理人。以下同)


アジアでは衝突が起きようとしている。古い世界の体制は崩れつつある。アメリカ合衆国と日本という、二つの新しい新興勢力が世界の舞台で主導的役割を発揮しようとしている。両国はそれぞれのさらなる国益を追求している。両国は戦争を避けることを願っている。両国はパール・ハーバーで激しく衝突することになる道を歩み始めた。

アリゾナ記念館

 

ガイドさん(日本人)の説明では、このパネルの説明に対して中国と韓国から批判が出ている、とのことでした。この説明は、大国の観点から書かれたものであり、「二つの大きな力が、戦争を回避しようとしたものの勢力争いの結果衝突した」と述べるにとどまるものです。侵略(侵略とするかどうか、日本国内では議論があるが)を受けた側からすると、日本の侵略的行為を描きも批判もせず、受け入れられないということではないでしょうか。

それでは、館内に入ります。

こちらは、戦前の各国の勢力範囲。赤系が日本の領土・植民地・勢力圏を示します。

アリゾナ記念館

 

館内はアメリカ人がたくさん。

アリゾナ記念館

 

日本のアジア・太平洋進出の勢いが強くなるとともに、アメリカは太平洋艦隊の拠点を西海岸カリフォルニアのサンフランシスコから、1940年春にハワイへ移しました。

アリゾナ記念館

 

開戦時の太平洋における日米の海軍力比較。戦力では日本がアメリカを上回っていることが伺えます。

アリゾナ記念館

 

ショーケースに入れられた、日本空母の模型。

アリゾナ記念館

 

日本の戦前の状況を解説。

アリゾナ記念館

 

アリゾナ記念館

 

ここでのご紹介は以上です。以上の写真は展示の一部を写したものなので、全部をご覧になりたい方はぜひ現地に足を運んでみてください。



「Day of Infamy」(不名誉の日)

そして次のセクション「Day of Infamy」に移ります。「Day of Infamy」という言葉は、当時のルーズベルト米大統領が、真珠湾攻撃の翌日、議会で対日宣戦布告の要請演説の中で発した有名なフレーズです。

Yesterday, December 7th, 1941 — a date which will live in infamy — the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan.

昨日、1941年12月7日(ハワイ時間)―それは不名誉な一日として残るだろう―アメリカ合衆国は突然、そして計画的に、日本帝国の海軍および空軍に攻撃を受けた。

英文出典:Wikisource Pearl Harbor Speech

 

このセクションの入り口のパネルには以下のように書いてあります。

 


1941年12月7日、オアフ島を通り抜ける日本軍の飛行機の轟音(ごうおん)が、日曜日の朝の静寂を破る。それらの飛行機は、水兵が国旗を掲揚しようとしている空軍基地と真珠湾へ向かう。

奇襲攻撃はアメリカを第二次世界大戦へ突入させた。

 

 

アリゾナ記念館

 

入り口を入ると、航空魚雷を抱く九七式艦上攻撃機の模型が天井に吊るされています。

アリゾナ記念館

 

アリゾナ記念館

 

奇襲成功を意味する日本軍の暗号電文「トラトラトラ」。低空飛行をする飛行機を見たハワイの人々は、演習だと思いました。7:55に攻撃が始まると、アメリカの警報はすぐに「ハワイで空襲、これは演習ではない!」を送信。第二波攻撃隊は一時間後に来襲し、9:55までに奇襲は終わりました。

アリゾナ記念館

 

往時の戦艦アリゾナ

アリゾナ記念館

 

航空魚雷による攻撃の解説。約10mの高度から魚雷を投下した。

アリゾナ記念館

 

当時配備されたばかりのアンテナ。レーダーは機影を捉え、監視員はそれを伝えたが、連絡を受けた上官は敵と思わずサンフランシスコからやってくる味方の爆撃機と勘違いした。

アリゾナ記念館

 

 

アリゾナ記念館

 

惨状の中でも救助活動が行われた。

アリゾナ記念館

 

水兵が着用していた服。

アリゾナ記念館

 

奇襲攻撃では、真珠湾に浮かぶ艦船ばかりでなくオアフ島の飛行場も大打撃を受けた。

アリゾナ記念館

 

奇襲攻撃後、迫害された日系アメリカ人について。アメリカにおける社会的地位を取り戻すため、戦争で大活躍した。

アリゾナ記念館

 

海底に着底している現在のアリゾナの模型。上に被さるようにあるのがアリゾナ記念館。二つ合わせて十字架をイメージして作られている。アリゾナが十字架の縦の長い部分、記念館が横の短い部分。

アリゾナ記念館

 

アリゾナ記念館

 

「犠牲を讃える」

アリゾナ記念館

 

これで展示は終わりです。この後、いよいよアリゾナ記念館に行くのですが、その前に必ず15分間のビデオを観なければなりません。それは、真珠湾奇襲攻撃がなぜ起きたのか、どのようなものだったのか、そしてその中で戦ったアメリカ兵の勇敢さと、犠牲の崇高さを讃えるものでした。

 

2.アリゾナ記念館

そして桟橋から100人くらい乗れる大きなエンジン付きボートに乗船します。真珠湾は今でもアメリカ海軍の基地のため、ボートの上および記念館に入場するまで、写真を撮ることが禁止されており、記念館の 外観などを撮影することはできませんでした。そのため、以下では公開されている写真も拝借して紹介します。

こちらは戦艦アリゾナと記念館を上空から撮影したもの。上でも説明したように、十字架を模しています。横にボートが着く桟橋があります。

アリゾナ記念館

 

入り口。

アリゾナ記念館
Author=Victor-ny

 

アリゾナの主砲の砲塔。上部は危険なため取り除かれています。手前はいまだに染み出してくる燃料油。「アリゾナの涙」と呼ばれています。

アリゾナ記念館
© by James G. Howes, November, 2005

 

アリゾナ艦内には、当時船内に取り残された遺体が取り出されることなく残っています。それは、米海軍では海が海軍軍人の正式な埋葬場所として考えられているからだとのこと。なんと、海軍の退役軍人は、希望すれば死後このアリゾナ艦内に遺体を入れ、葬られることができるそうです。

つまり、アリゾナは大きな棺であり、その上の記念館と合わせて海上(海中)の墓地とも言うことができます。

あえて写真には残しませんでしたが、記念館内部は質素な作りで、それぞれの人が犠牲になられた方々の慰霊をし、自由に想いを巡らせるための空間になっています。奥には、犠牲者全員の名前が記された慰霊所が設けられています。

こちらの写真は、戦艦ミズーリから見たアリゾナ記念館。ミズーリは、記念館と垂直に交差し海中に沈んでいるアリゾナと向かい合う場所に置かれています。太平洋戦争の始まりと終わりを象徴する二隻の戦艦が、真珠湾で一直線上に向き合っています

アリゾナ記念館

 

アリゾナ記念館の入場券

アリゾナ記念館

 

アリゾナ記念館の紹介は以上です。アメリカ人にとっての真珠湾攻撃の意味を知る、大きな手掛かりがある場所です。日本の歩んだ道を振り返ることにもつながります。ハワイに行かれた際は、ぜひ一度ご覧ください。

 

◆真珠湾の戦争記念施設一覧に戻る ➡ ハワイ・真珠湾の戦争記念施設―戦争の始まりから終わりまで

 

写真撮影:キャプションのあるもの以外は管理人





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