【記念館】戦艦ミズーリ記念館-太平洋戦争が終わった、その場所へ


太平洋戦争が正式に終結したのは、東京湾上に浮かぶ米戦艦「ミズーリ号」の上で、大日本帝国と連合軍各国の代表者が集い、降伏文書に調印を行った1945(昭和20)年9月2日です。

降伏文書の内容についてはこちら ➡ 【太平洋戦争の終結】降伏文書の調印
降伏に至るまでの経緯はこちら ➡帝国 無条件降伏す―聖断・宮城事件・玉音放送



この降伏調印式の行われた戦艦ミズーリは、世界で最後に建造され、最後まで現役で使用された戦艦です。太平洋戦争後1950年~1953年の朝鮮戦争でも活躍し、1955年に一度退役しますが、解体されることなく保存されていました。その後再び近代化装備を施され、1986年に服役し、1991年には湾岸戦争に出動し、翌1992年に二度目の退役をしました。1999年より、パール・ハーバーに記念館として一般公開されています。

 

戦艦ミズーリ記念館

 

 

1.ミズーリに乗り込む前に・・・

太平洋戦争でアメリカ海軍太平洋艦隊司令長官であったチェスター・ニミッツ提督の像が出迎えます。ガイドさんの話では、ニミッツ提督のハワイ(アメリカ?)での人気は非常に高く、マッカーサー元帥よりも人気だそうです。日本だと知る人ぞ知る…という感じですけどね(当初米海軍が占領した沖縄では有名かもしれません)。

チェスター・ニミッツ

 

 

そしてニミッツ像の下にあるパネル、ここには日露戦争でバルチック艦隊を打ち負かした東郷平八郎提督の写真があります。ニミッツは東郷のことを非常に尊敬していたそうで、若き海軍士官だったころから、個人的に東郷と懇意になりました。終戦後、横須賀で朽ち果てていた日露戦争当時の旗艦、戦艦三笠を修復するための募金集めに多大な貢献をしたり、東郷を祀る「東郷神社」(東京・原宿)が空襲で焼け落ちていることを知ると、その復興のために寄付したりしています。尊敬する海軍軍人の出身国と、自らが自国の海軍を率いて戦う運命になったニミッツ。その気持ちはいかばかりだったでしょうか。

チェスター・ニミッツ

 

 

前置きが長くなりましたが、いよいよミズーリ号に乗船です!

入口に向かって、アメリカ国旗が並ぶ道を進みます。管理人が訪問した時は、残念ながら艦橋が修理中とのことで、全体的に覆いがされていました・・・非常に残念でした😿涙

チェスター・ニミッツ

 

 

林立する国旗の間を直進すると、ミズーリの左舷に出ます。

戦艦ミズーリ記念館

 

 

そしてさらに入口に向かうと、男女の熱烈なキスの像があります。ちょっとびっくりします😅💦この正体は・・・

日本の降伏(ポツダム宣言受諾)がアメリカに伝えられた時(1945年8月14日)、通りに集まっていたニューヨークの軍人と従軍看護婦は大喜びし、大騒ぎになりました。男の軍人は手当たり次第に周囲の看護婦にキスをしまくったと言います。この像はその様子を形にしたもの。ガイドの方曰く、「この像の横で同じポーズを取って写真を撮っている日本人カップルが時々いますが、この像の意味を知ったらそういうことはできないんじゃないかと思いますけどね」とのこと・・・。まあ、ね。。

ちゅーするアメリカン

 

 

2.16インチ(40.6センチ)主砲

こちらはミズーリ号の主砲、前部第一砲塔(下)、第二砲塔(上)です。主砲の砲塔は全部で3基あります。主砲は口径40.6センチ、射程約37㎞で、大和・武蔵には及びませんが、アメリカ海軍では最大級でした。

それにしても艦橋が痛々しい・・・💦

戦艦ミズーリ

 

 

主砲の砲弾です。

戦艦ミズーリ記念館

 

 

主砲を下から見た様子。この主砲1門でスペースシャトル1機と同じくらいの重量があるとか・・・!ミズーリには主砲が9門(3門×3砲塔)ありますから、その総重量は想像を絶します。戦艦ミズーリ

 

 

機銃もいたるところに残されています。

戦艦ミズーリ

 

 

3.降伏調印式の行われた場所

いよいよミズーリ訪問のメインディッシュとなる(個人的には)、降伏調印式の行われた場所に移ります。大事な式を行う場所ですから、広々とした場所が選ばれたように思っていましたが、じつは甲板上の狭い場所だったんです。というのも、艦長室の前の狭いスペースが選ばれたのですが、このスペースは普段は兵の立ち入ることのできない、特別な場所だそうです。艦にとって大事な場所で式を行うことにしたようです。

今はこのスペースは展示がなされ、歴史の一場面を偲び、学ぶことのできる場所として開放されています。

下の写真は、式典の場所で整列する日本代表団。前列右 梅津美治郎(うめづよしじろう) 全権(大本営=軍部を代表して)、前列左 重光葵(しげみつまもる) 全権(日本政府を代表して)。これまで交戦していた相手の戦艦に乗り込むということで、非常に緊張していたそうです。

降伏

 

 

マッカーサーが署名している様子。

戦艦ミズーリ記念館

 

 

調印の行われた机があった場所の床には、それを示すサインが埋め込まれ、以下のように書かれています。

U.S.S. MISSOURI
OVER THIS SPOT, ON 2 SEPTEMBER 1945, THE INSTRUMENT OF FORMAL SURRENDER OF JAPAN TO THE ALLIED POWERS WAS SIGNED. THUS BRINGING TO A CLOSE THE SECOND WORLD WAR.
THE SHIP AT THAT TIME WAS AT ANCHOR IN TOKYO BAY.

アメリカ船 ミズーリ
1945年9月2日、この場所の上で、日本の連合軍に対する正式な降伏文書に署名がなされた。これにより第二次世界大戦は終結した。
本船は当時東京湾に錨を下ろしていた。(管理人訳)

戦艦ミズーリ記念館

 

 

人が多くて分かりづらいですが、この場所のほぼ全景になります。狭さがお分かりいただけるかと思います。

戦艦ミズーリ記念館

 

 

たしかレプリカだったと思いますが(本物はワシントンの国立公文書館じゃなかったかな)、降伏文書が展示されています。 降伏文書

 



4.もうひとつ、日本とゆかりの深い場所

そして戦艦ミズーリのもう一つの見どころは、ここです・・・!

下の写真は艦の側面ですが、途中少しへこんでいますよね。このへこみは何だか分かりますか??

戦艦ミズーリ

 

 

これは、1945年4月12日に、ミズーリが当時行われていた沖縄戦(4月1日米軍沖縄本島上陸)の援護として沖縄沖で活動していた時、日本軍の特攻機(零戦)による体当たり攻撃を受けてできたへこみです。

以下の写真の、左上に突入直前の零戦の機体があるのですが、分かるでしょうか?この直後、この機はミズーリを直撃し、火災を起こします。火災そのものはすぐに消し止められ、ミズーリに大きな損害はありませんでした。

戦艦ミズーリ

 

 

この場所では、このようにKamikazeとしてパネルで解説されています。「沖縄戦の間、5000人の海軍軍人が殺され、36隻の船が沈没した。このうちの多くが特攻隊によるものである。」

戦艦ミズーリ

 

 

この特攻機に登場していたのは誰か?ということが戦後調査され、当時の部隊配置や、通信内容の解析から、2名に絞りこまれているそうです。ミズーリ艦上のパネルでは、そのうちの1名である石野節雄二等飛行兵曹ということで紹介されています。

戦艦ミズーリ

 

 

特攻機の突入によって火災を生じたミズーリでは、消火が終わるとそこに零戦の残骸と、上半身だけになったパイロットの遺体を発見しました。甲板の兵がその遺体を海へ捨てようとしたところ、ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長は、米海軍の正式な葬り方である水葬(すいそう=遺体を入れた棺に国旗をかぶせ、棺ごと海へ投下する)で葬るように命じました。

兵たちはこの命令に反発しました。少し前まで自分たちを殺そうとした男をなぜ丁寧に扱わねばならないのか、と。しかしキャラハン艦長は、死亡した敵兵は既に敵ではなく、国を守るために戦った一人の勇敢な人間である、したがって丁重に葬るべきであると述べ、水葬を敢行しました。

葬儀は翌日行われることとなり、その晩は3名の兵が遺体の安置されている部屋を守りました。その兵たちは、ありあわせの布で、棺にかぶせる日の丸を作成しました。翌日、下の写真のように、片側3名ずつ兵が並び、水葬の儀式が執り行われました。

戦艦ミズーリ記念館

 

 

現在、その水葬の現場には足跡が残され、ここが敵味方を越えて戦士を敬った現場であったことを示しています。

戦艦ミズーリ

 

 

5.そのほかのミズーリの見どころ

近代化改修されたミズーリには、トマホークミサイルの発射機があります。下の写真の中央の四角い箱状の物がそれです。そして小さくて分かりにくいのですが、発射機の側面左上に四つマークがあるのがお分かりでしょうか。これは湾岸戦争の時、この発射機から4発のトマホークミサイルが発射されたというしるしです。「トマホーク」とは、ネイティブアメリカン(アメリカ先住民)の斧のことであり、このマークはそのトマホークを模しています。

戦艦ミズーリ

 

 

後部甲板のスペースは毎日何かしら海軍関係のセレモニーで使われるそうです。この日は翌日の対日戦勝記念日(9月2日)の準備中でした。 戦艦ミズーリ

 

 

ミズーリでは、「海軍カレー」を食べることができます!米海軍にはカレーを食べる習慣はないそうですが、ミズーリではカレーを食べることができます。それは冒頭に紹介したニミッツ提督が関係しているんですね。二ミッツの尊敬する東郷平八郎が所属する日本海軍では、兵員の脚気(かっけ)対策としてイギリス海軍から野菜も同時に取れるカレーを導入していました。そのため、ミズーリでもカレーを出すようです。お味は・・・ぜひミズーリに来て試してみてください笑

海軍カレー

 

 

私はハワイと言えば “Remember Pearl Harbor” と勝手に思い込んでいた節があったのですが、ここまでほとんどその言葉を見ることがありませんでした。しかし、ようやく見つけました!って、喜ぶ話ではないですね(笑)。カレーを食べた休憩スペースにありました。

Remember Pearl Harbor

 

 

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これでミズーリも見納めです。 戦艦ミズーリ

 

 

6.戦艦オクラホマ記念碑

ミズーリの手前には、真珠湾攻撃で転覆・沈没した戦艦オクラホマに乗船していて死亡した429名の慰霊塔があります。

戦艦オクラホマ

 

 

柱一本が一人を示す、429本の大理石の柱が立っています。一本一本に亡くなった方の名前が記されています。 戦艦オクラホマ

 

 

これで戦艦ミズーリ記念館の紹介は終わりです。太平洋戦争が終わったまさにその場へ、ぜひ一度足を運んでみてください。

 

◆真珠湾の戦争記念施設一覧に戻る ➡ ハワイ・真珠湾の戦争記念施設―戦争の始まりから終わりまで

 

写真撮影:管理人





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