ワイキキの北、オアフ島の火山の噴火口を利用して、アメリカ太平洋軍(太平洋方面のアメリカ軍全て)の記念墓地である「国立太平洋記念墓地 (National Memorial Cemetery of The Pacific)」があります。
「パンチボウル」という愛称をもつこの場所は、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争におけるアメリカ太平洋軍の戦死者の一部、2万人以上を埋葬している記念墓地です。「アメリカ太平洋軍」とは、太平洋地域におけるアメリカ軍すべて(アメリカ五軍)、すなわち、陸軍、海軍、空軍(第二次世界大戦後創設)、海兵隊、沿岸警備隊のことです。
日本人にもつながりの深い墓地
そしてこの墓地には、日系アメリカ人も数多く葬られています。第二次世界大戦をはじめとして、多くの日系人がアメリカ軍兵士として活躍しました。また、神殿のような奥のスペースには、太平洋軍の参加した主要な作戦が大きな模式図になり展示されています。そのほとんどが太平洋戦争の対日戦のものです。アメリカ軍の記念墓地ではありますが、とても日本ともつながりの深い場所です。
日系アメリカ人の活躍を讃える
よく手入れされた広大な芝生に、兵士一人ひとりの名前、生年月日と死亡日、妻などの名前、短いメッセージが刻まれた板が埋め込まれています。
よく見ると、日本人の名前が多数あります。(写真を掲載しようと思いましたが、故人やご遺族の感情を考えるとそうするのは憚られました)
太平洋戦争当時、アメリカに移住していた多くの日系人は迫害され、枢軸国の国民で唯一強制収容所へ入れられました。特に日系人の多かったハワイでは、日系人全てを収容所に入れてしまうとハワイの経済が成り立たなくなってしまうことから、日系二世は収容所に入れられることから免れました。
そこで、二世の人たちは彼らだけの部隊を組織することを要請し、アメリカの戦争で活躍することで、日系人の社会的地位を回復させようとしました。ハワイ出身の日系二世による部隊は戦場で驚異的な活躍を示し、アメリカ軍の中で最も損害が多かった部隊となりました。当初はヨーロッパ戦線に送られ、その後太平洋戦線で日本軍と交戦しました。
彼らの活躍はアメリカ社会の中で大きな反響を呼び、戦後の日系人の地位回復に非常に大きな役割を果たしたそうです。そして彼らの多くがこの記念墓地に眠っています。血は日本人、心はアメリカ人、そんな日本民族のもう一つの戦いの歴史を象徴する場所です。
彼らの栄誉を讃えた銘板があります。
第二次世界大戦で祖国を守るために命を捧げた日系アメリカ兵の名誉を讃えて我ら戦友は、彼らを我らの世代の英雄と宣言するこの銘板を彼らの記憶のために捧げる1983年9月25日
第100歩兵大隊
第442連隊戦闘団
陸軍情報部
第1399建設工兵大隊
そしてもうひとつ、このようなものもありました。
1944年10月、第442連隊は「自由」の文字を彼らの血で記した
ビフォンテーヌは記憶している
1993年3月24-28日
これは、ドイツ占領下のフランスの「ビフォンテーヌ」という街を、日系アメリカ人で構成された第442連隊が奪還し、その後の熾烈な反撃にも耐え抜いたことを讃えるものです。
日本軍との戦いの記録
この墓地の奥に、太平洋軍の経験した大きな戦争の戦場の様子がパネルで示されているのですが、そのパネルのほとんどが日本との戦いです。その理由はその場に明記されているわけではないのではっきりとは分かりませんが、墓地が作られたのが1949年頃なので、太平洋軍の経験した他の二つの主要な戦争である朝鮮戦争とベトナム戦争は後から足したものと思われます。日本との戦争が、アメリカの太平洋方面における軍隊の基礎を築いたことを伺わせる場所です。
荘厳な神殿のような作り。
内部では、パネルで太平洋戦線の経過が説明されています。アメリカ軍の視点から、重要な戦闘が描かれていきます。
開戦時の日本の領域
ミッドウェー海戦。この戦いは、アメリカ人にとっては日本人にとっての日露戦争における「日本海海戦」のような印象があるのではないでしょうか。
世界最初の空母同士の戦いとなった珊瑚海海戦
ニューギニアとソロモン諸島
マリアナ諸島(マリアナ沖海戦、サイパン島、テニアン島、グアム島)
中央には礼拝スペースがあります。
フィリピン
硫黄島
沖縄
日本との戦いのパネルは以上になります。2発の原爆や本土空襲についての解説はなく、攻撃する側と攻撃される側の視点の違いを感じさせます。朝鮮戦争、ベトナム戦争については各2枚解説がありました。
ハワイの青い空の下、鳥たちの鳴き声のこだまする広大な墓地。この場から、歴戦の勇者たちは今もアメリカの平和と繁栄を願っていることでしょう。
交通
ワイキキからバスでも行けますが、乗り継ぎが必要で分かりにくかったり、バス停が遠く、またバスもあまり来ないので、レンタカーかタクシーの利用をお勧めします。帰りは流しのタクシーを拾うのも難しいため、お気を付けください。
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写真撮影:管理人
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