【インタビュー】田所智子さん(戦場体験放映保存の会 事務局次長)-ボランティアだけで作った2600人の戦場体験記録

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2.20代から90代までが揃う、全員ボランティアの多様なチーム

 

―すごい規模で聞き取りをされてきたんですね。運営メンバーの方は全体で何名くらいいるのでしょうか?みなさんボランティアですか?

全員ボランティアです。催しの時に出ているメンバーは15人くらい。ちょっと大きいイベントの時は30人くらいです。年に1、2回登場するメンバーもいますよ。コアメンバーは15~20名です。

 

―どのような方たちが活動に参加されているのでしょうか?

メンバーは世代の幅が広くて、事務局スタッフで20歳から91歳まで今いるんですけれど、その間の各世代全部いるんですね。20代、30代、40代…。メンバーのいない世代がないので、それが本会の強みだと思います。いろいろなことに関して、世代ごとの感覚のずれがあるのですが、それをお互い会の中で話している時に気付けるというのが、会の強みになっていますね。同じ若い世代だけの運動でも、体験者だけの世代の運動でも、ちょっとできないことだと思います。

 

―20代から90代まで全て揃っているというのは、極めて珍しいですよね?

珍しいですね。時々20代がいなくなるかな、とか一瞬思うこともありますけど、若い人がいると若い人が入ってくるじゃないですか。同じ世代がいないと同じ世代の人って運動には入りにくいから。これは発信でも良い影響が生まれていますね。若い世代はツイッターとか使って発信していくのは得意だし、年配の人たちはマメにチラシを置いて歩くなどしてくれますね。

 

―メンバーの方はどうやって集まってくるんですか?

それぞれですけど、イベントやるごとに一人二人増えていくことが多いですね。当初のメンバーはあまり減っていないです。学生さんは流れていくものだから、それは割り切っています。就職したら環境が変わるから。一時そういう体験してもらえればいいと思っています。

年に1、2回大きなイベントをやっているので、そういうところで入ってきている方が多いかな。来ているお客さんで、もっと話を聞いてみたい、何か手伝いたいという人をスカウトしています。私たちみたいな場所を求めている人はいるんですよ、きっと。一定数そういう層がいるんだと思います。

戦争体験放映保存の会
開催するイベントには老若男女を問わず多くの人が参加する。この中から会の活動に参加する人も出てくる。

 

戦争体験自体は300万人、400万人と関わっている人数の多いことだから、遺族とか身の回りにも、掘り起こすとほとんどの人にとって何かしらの体験談があるじゃないですか。だけど普通に日常生活の中でそういう話ができる場所ってあまりないから、そういうことを気兼ねなく話せる場所があったらなと、潜在的な欲求を持っている人はいるんです。

 

体験の質が変わってきている

―お話を聞ける方はやはり減ってきているのでしょうか?

そうですね。2008年~2010年頃になりますが、話をして頂ける体験者がとても多かった時期があって、私たちの聞き取りできる能力を超えていました。一日に5人くらい渋谷に集まって頂いて、朝からガンガン話を聞いたりしました(笑)。今はそういう時期ではないから、最近は聞き取りに行くのは関東圏でも少し遠くなっていたりとか、ということはやっぱりあります。ご高齢で、本人が話せると思っているほど記憶が、というケースもありますし。10年くらい前とは違いますよ。それから体験の質も変わってきていますね。

日中戦争の初期の頃戦っていた人はもう百歳を超える前後ということになってきていますから、その層に会うことはあまりなくなりました。そうすると話の内容も違ってはいますね。少年飛行兵に志願して、満蒙開拓青少年義勇軍に行って、くらいの世代が今は一番多いです。当時20歳前後くらいで、今90歳ちょっとくらいです。正確に数えてはいませんが、感覚としては、今まで聞いてきた方たちの7割くらいは亡くなられています。そこはもう、最終段階に入ってきているという感じはあります。

 



 

聞かれないから話していない、という人が一番多い

―自ら話すという方はあまりいらっしゃらないのでしょうか?

そうですね。ただ、よく戦争の話はみんな口が重くて話さないでしょう、と言われるのですが、それよりは、聞かれないから話していないという人がじつは一番多数派だと思います。ちゃんと伺えば話すけれど、誰も聞こうとしていなかったりすることが多いようです。

 

―なるほど。話す場を作ってあげることが大事なんですね。それでは、戦場体験にこだわっているのはなぜでしょうか。内地の市民の被害体験は既にやられている団体が多いということでしょうか。

それもあります。加えて、始めた時は戦場でより先鋭化して見えるものがあるのではないかと思いましたし、年代的には兵士の方が上だから、上の人を先にやった方がいいというのもありました。

これは結果論ですが、兵士に最初絞ったことで兵士は割と話しやすかったのだと思います。ひとつの団体の中で戦争の話全般だと、兵士の方は必ずしも話しやすくはないんじゃないかな。今と違う価値観の中で生きていたし、結局負けた戦争の兵隊が何を言うのかとか、民間人が戦争の被害の話をするのとは違い、いろいろ戦地でやった事柄の内容も含めて、そんなに話しやすい話ではなかったから、戦争の話全部が一緒だともっと話しづらかったかな。

兵士ばかりが集まっている団体だということの話やすさがあったような気がしますね。それと、うちの会は無色(編集注:政治的な色を持たない)で戦争体験だけ聞くというスタンスでやってきました。それがなければ長続きしなかったかなと思います。

 

次は ➡ 3.体験を「手に取りやすいもの」にすること、そしてそれによって「失われるもの」

 






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