日中開戦80年-盧溝橋から見える月

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こんにちは。管理人です。

ついこの間(2月~3月)東京大空襲について色々と走り回っていたと思ったら、もう7月も10日を回りました。。ありきたりですが、時が経つのは早いですね。そして梅雨が終わるかなと思ったら台風が上陸して、その影響もあって九州では想像を絶する大雨が降ってしまいました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早く復旧されることを願います。

さて、昨日、ようやく日中戦争の始まりの経緯の記事をウェブサイトの方にアップしました。

日中戦争への道(1)-大陸進出の足掛かり:日清・日露戦争と第一次世界大戦
日中戦争への道(2)-「満州事変」日本の中国政策の大転換点
日中戦争への道(3)-泥沼の死闘へ「盧溝橋事件」と「第二次上海事変」

しっかり書かれている本5冊ほどを参考にさせて頂いてまとめたのですが、経緯が複雑で、簡潔にまとめるのは非常に大変でした…(いつものことなのですが)

元々このサイトを始めたきっかけは、太平洋戦争のことがよくわからないことに自分自身驚いたからでした。それで色々と調べてみたのですが、さらによく知らなかったのが、日中戦争でした。しかし、太平洋戦争が起きた原因は日中戦争にもありそうだし、これは重要なのではないか、と思っていたものの、なかなか手が付けられないまま日が経ってしまいました。いよいよ、ということで、盧溝橋事件80周年の今年7月7日に合わせ、書いてみようと思ったのでした。

しかし想像以上に大変で、7日に間に合わず、9日になってしまったという次第です💦ありがちですね(笑)

 

日本人が血をもって創り、そして忘れ去った「満州国」

約1年前にウェブサイトを開設して以来、たびたび自分の無知に驚いたのは、満州というものをいかに知らなかったか、ということです。70年ほど前まで、今の日本の面積の3倍以上もある土地を、日本が中国大陸に持っていたというのは、当時を直接知らない今の人間からするとちょっと想像できません。大陸の多くの人々にとっては、日本人は大いなる邪魔者であり、具体的な危害を与え得る存在でしたが、当時の日本人にとって、満州は希望の土地だったのでしょう。そこには軍事・経済の現実的な要請とともに、夢があり、人々の日常がありました。そしてその夢は13年でもろくも崩れ去ったのです。日本人が夢見たものと彼の地で創り上げたもの、中国の人々が受けた耐え難い苦痛、そして満州支配が今に及ぼしている影響、それらを今後掘り下げていきたいと思います。満州の事をもっと知らなければ、戦前日本を深く理解することはできないと思います。



隣国を侵すことの哀しみ

今回最も感じたのが、隣国の土地を武力を背景に浸食していくことの悲しさです。有史以来、近代にいたるまで、中国は日本にとって偉大なる「先生」でした(日本人がそのように意識していたかどうかはともかく、実態として)。文字すらなかった古代日本が一気に文化水準を上げ、生活を向上させられたのは、中国大陸と朝鮮半島からの様々な文物や人の往来のおかげです。中華文化圏の技術や社会制度を取り入れることで、日本は少なくとも500年分くらいは進歩を早送りできたのではないでしょうか。そして江戸期の終わりにさしかかるころまで、日本の知識層にとっての「学問」の中心は、中国の書物からいかに知識を吸収するかということでした。

しかし、明治維新以降の国外への膨張熱は、そんな過去中国から受けてきた恩恵のありがたみを吹き飛ばし、自衛という名に覆い隠された独善的行為によって(あまりに露骨なのでまったく頭隠して尻隠さずだった)、当時弱体化していた大陸を侵食していったのだと思います。それが植民地帝国主義時代の当然のありようであり、現代の常識で断罪することは間違っている、たしかにそれはそうかもしれません。私は日本にしろ、他国にしろ、過去の国や人が行ったことについて、単純に善悪で色分けをしたくはありません。当時の常識、雰囲気、切迫感といったものは、後世の人間に分かりきるものではないと思うからです。日本が大陸に打って出なければ、ロシア・ソ連に日本が脅かされていた、それも当時の恐怖心としては十分理解できるものがあります。

しかしながら、自衛行為として理解できる範囲を超えて、日本は相手の望まない土地の収奪を行い、数多の命を奪い、利権をむさぼったことは事実です。一連の時の流れの中には、相手にも非のあることもあったでしょう。しかし、そもそもの問題の起こりは日本側に起因しています。ですから、今もまだ続く日中間のわだかまりを解いていくには、私たちは過去大陸で何があったのか、よく知らなければならないと思います。しかし、その割には大陸進出から日中戦争が終わるまでの歴史と言うのは、あまりにも一般には知られていないのではないでしょうか。アメリカ・イギリス等と戦った太平洋戦線(およびその結果としての本土における様々な痛ましい被害)はあらゆる機会に取り上げられ、注目されてきました。しかし、中国大陸の戦闘や被害の詳細、そもそもなぜそのような出来事が起きたのか、といったことは、太平洋戦線ほどには取り上げられてこなかったように思います。

 

歴史を時の流れとして理解すること

南京事件や、最近では通州事件など、ピンポイントの事件についてはよく語られますし、社会的にも話題に上ることが多いですが、そのような事件は約50年の日本の大陸進出(侵略)の歴史のほんのわずかな「点」にしかすぎません(だからと言ってそれらの事件が重要ではないと言っているわけではありません)。今に続く相手国の日本に対する感情は、約半世紀にわたる日本の圧迫が溜まりにたまって出てきているものであることを理解する必要があるのではないでしょうか。もちろんそれ以外にも、中国政府が政治的に反日感情を利用しているなどの事情もあるでしょう。ですから今の両国間の感情的しこりの全てが日本のせいだとは言いません。しかし、相手の感情を理解するには、何が起きたのかをもっと知らないと、話にならないと思うのです。

 

つながりの深いこの両国に、今もって70年以上前の出来事が原因で心理的な溝があるのは大変残念なことです。双方が自らの正当性を主張するだけで、互いに相手を遠ざけてしまえば、決して仲が戻ることはないでしょう。私たちはまず、何が起きたのかもっとよく知ることから始めねばならないと思います。そして民間・政府を問わずあらゆるレベルで対話の機会をもっと作っていくことが大切ではないでしょうか。歴史の話は政治と切っても切り離せないものであり、ともすれば話すことを避けがちです。しかし、私たちは歴史と無縁で生きていくことはできないのです。

 

日中開戦から80年が過ぎました。七夕の日の夜、東京からはとても綺麗な月が見えました。盧溝橋から見る月も、同じ月なのですね。彼の地からは、80年目の節目の夜、どんな月が見えたのでしょうか。

 

写真:空から見た盧溝橋(1940年)





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