教育勅語(正式名称「教育ニ関スル勅語」)をめぐって、年明けから今に至るまで、政界、メディア、市民を巻き込んでの議論が起こっています。今国会(第193回国会)に衆議院で提出された質問主意書だけで、6本が教育勅語に関するものです(2017年5月18日現在)。127年前の1890(明治23)年に発布され、70年前の1947(昭和22)年にその効力が停止した「勅語」が、なぜ今になって世間を騒がせているのでしょうか。現代の道徳教育で教育勅語を活用する道はあるのでしょうか。ここでは、教育勅語とそれをとりまく議論を概観しながら考えていきます。
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平成の教育勅語活用問題
事の発端
安倍首相・昭恵夫人と密接なつながりのある森友学園「塚本幼稚園」において、園児に教育勅語を暗唱させていたことに端を発し、教育課程において教育勅語を使用することの是非が問われるようになりました。その中で、国会における議論や文部科学大臣の会見等で、憲法や教育基本法の趣旨に抵触しなければ活用することを妨げないという発言が出たことで、大きく世間の注目を集めることになりました。
塚本幼稚園園児による教育勅語暗唱(3:30~)
(埼玉県議 鈴木正人議員のYouTubeより)
そもそも教育勅語とは何か
教育勅語は、明治時代に教育の根本となる道徳を国民に広く知らしめるために作成された明治天皇の勅語(天皇の言葉)です。法制局長官の井上毅(いのうえこわし)と天皇の側近であった儒学者の元田永孚(もとだながざね)が中心となって起草し、大日本帝国憲法下の1890(明治23)年に発布されました。
大きく三つの部分からなり、(1)天皇を中心とする日本の国のなりたちの説明、(2)日本国民(当時は天皇の民という意味で「臣民(しんみん)」と呼んだ)が大切にすべき徳目の説明、(3)(2)で説明した徳目の正統性を主張し、国民にこの徳目を守るように呼び掛けるとともに天皇自らが国民とともに守っていくとの希望を述べる、という構成になっています。
一般的に、教育勅語の(2)の部分には12の徳目があると言われています。項目の数や内容は解説者によって多少異なるようですが、ここでは「物語で伝える教育勅語―親子で学ぶ12の大切なこと」(明成社)での整理を参考にします。
- 父母に孝行をつくし(父母ニ孝ニ)
- 兄弟姉妹仲よくし(兄弟ニ友ニ)
- 夫婦互に睦び合い(夫婦相和シ)
- 朋友互に信義を以って交わり(朋友相信シ)
- へりくだって気随気儘の振舞いをせず(恭儉己レヲ持シ)
- 人々に対して慈愛を及すようにし(博愛衆ニ及ホシ)
- 学問を修め業務を習って(學ヲ修メ業ヲ習ヒ)
- 知識才能を養い(以テ智能ヲ啓發シ)
- 善良有為の人物となり(德器ヲ成就シ)
- 進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし(進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ)
- 常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し(常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ)
- 万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ(一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ)
教育勅語全文(現代語訳)や、この勅語が生まれた背景・影響についてはこちらの記事をご覧ください。
戦前の教育(1)徳育重視の教育政策への道-明治維新から教育勅語まで(1868‐1890) 2/2
戦後勅語の教育勅語に対する扱い
では、この教育勅語に対して、戦後どのような対応が採られてきたのでしょうか。
教育勅語は、1947(昭和22)年の日本国憲法と教育基本法の制定により、効力を失いました※。さらに、翌年1948(昭和23)年6月19日、衆議院で「敎育勅語等排除に関する決議」が、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」が決議されました。衆参両院の決議に法的拘束力はありませんが、教育勅語を排除・失効したことを改めて国の代表たる国会で確認したことになります。
※教育勅語に関する政府答弁書などより。
これらの決議で指摘されたポイントは以下になります。
- 教育勅語が効力を今なお持っているように考える者が少なくない。
- 教育勅語の根本的理念が主権在君(=天皇主権)並びに神話的国体観に基いており、明らかに基本的人権を損い、かつ国際信義に対して疑点を残すもととなる。
- よって教育勅語の指導原理的性格を認めない。
- 政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべき。
両決議の全文はこちらを参照ください ➡ 教育勅語の排除・失効に関する衆参両院決議(全文)
現代の学校での活用の是非をめぐる議論
教育勅語を学校教育で使用(特に道徳の時間内において)することについての是非が、今年(2017年)の通常国会で複数の国会議員から政府に質問が出されました。それに対する政府答弁のうち、主な部分をまとめます。
- 教育勅語は日本国憲法および旧教育基本法の制定等をもって法制上の効力は喪失した。
- (幼稚園・学校で教育勅語を暗唱させたりする行為は認められるかということについて)個別具体的な状況に即して判断されるものであり、一概に答えられない。
- 一般論として、学校で不適切な教育が行われている場合は、市町村または学校法人、都道府県、文部科学省において適切な対応を取ることになる。
- 幼稚園において教育勅語を教材として用いることの是非について定めた規定は存在しない。
- 閣僚の個人的な見解(特に稲田朋美防衛大臣の過去の教育勅語擁護の発言を指して)について政府としては言うことはない。
- 学校において教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だが、憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない。
- (男尊女卑の価値観を元に書かれた「夫婦相和し」の価値観を今でも正しいと思うかという質問について)意味が不明瞭なので直接答えることはできないが、当然夫婦は同等の権利を有している。
- 政府としては教育勅語の活用を促す考えはない。
出典:逢坂誠二衆議院議員質問主意書に対する政府答弁書、初鹿明博衆議院議員質問主意書に対する政府答弁書、長妻昭衆議院議員質問主意書に対する政府答弁書
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教育現場で教育勅語を使おうとしたら何ができるのか?
上記の政府答弁を要約すると、(1)教育勅語を歴史的文書として解説することは問題ない、(2)教育勅語を唯一の教育原理として用いることはできない、(3)教育勅語に教育上有意義と認められる内容があると考える場合、憲法や教育基本法等に反しない範囲での使用は認められる、(4)教育勅語の「行き過ぎた活用」があると考えられる場合は、個別に検討をして必要であれば是正指導をする、ということになります。では、政府答弁を元に、教育現場で教育勅語を肯定的に活用しようとした場合、最大限できるのはどのようなことでしょうか。道徳の時間で考えてみます。
<問題にはならないと考えられること>
- 教育勅語全文のコピーを配布または黒板に大判印刷のものを掲示。
- 教育勅語が歴史的にどのような意味を持つ文書かを説明。(その中で作成者の想いなどを盛り込むことは可能と考えられる)
- 徳目の部分について、それぞれの意味を解説した上で、今に通ずる良き理念であり、守ることが良い国民になると教える。
- 教育勅語を読んで、また、勅語を用いた授業の感想文を書かせる。
- 勅語の徳目に関して、意見交換やディスカッションを行う。
<グレーゾーン>
以下のようなことは、場合によっては保護者等から問題視され、通報され自治体から調査された場合、指導を受ける可能性があると考えられます。
- よく理解・記憶できるように、勅語を朗読・暗唱。
- 記憶できているか、内容を理解できているかを確認するテストを後日実施。
ただし、いずれの場合も教育勅語を唯一の教育原理として扱わないこと、憲法と教育基本法に反しないこと、が条件になります。「憲法と教育基本法(以下「基本法」)に反しない」という部分で、教育勅語を扱う上で気を付けるべき条項は以下の各項が考えられます。
- 詔勅の排除(憲法前文・第九十八条)→教育勅語は「詔勅」そのものであるため。
- 主権在民と象徴天皇制(憲法前文・第一条)→天皇主権の国家観に基いているため。
- 国民は法の下に平等(憲法第十四条、基本法第二条・第四条)→親子や夫婦間に優劣を認める価値観の下作成されているため。また原文には「兄弟」はあるが「姉妹」はないことからも、男女平等では念頭になかったことが伺える。
- 何人も苦役に服させられない(憲法第十八条)→「一旦緩急アレハ・・・皇運ヲ扶翼スヘシ(万一危急の大事が起ったならば・・・一身を捧げて皇室国家の為につくせ)」との文言は兵役や、何らかの意思に反した義務に従事させることを想起させる可能性があるため。
- 信教の自由・公立学校の宗教教育排除(憲法第二十条・基本法第十四条)→国家神道を前提として作成されているため。宗教上の理由から、授業での使用そのものや朗読等を拒否する児童・生徒が出る可能性があり、無理に行わせると憲法・法律違反になるのではないか。
次は ➡ 教育勅語活用に関する賛否
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