戦争体験を説明なく「護憲」につなげることへの違和感

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こんにちは。管理人です。

先日、戦時中の暮らしに関するイベントに参加しました。イベント自体は、当時の生活や戦争の悲惨さ、または現代の人が戦争体験をどう継承していくかなどの論点を知ることができ、有意義なものでした。ただ、同時に強い違和感を感じる場面もありました。

 

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説明なき「護憲」に対する違和感

それは、「戦争は残酷。だから憲法九条を護らなければならない」「日本が戦後、戦争をしなくて済んだのは今の憲法のおかげ」、という主張が繰り返されたことでした。多くの発表者のいたイベントでしたので、その中の数人が話しの流れで個人的見解として述べたのであれば、それはそれで良いと思います。しかし、九条護持を感じさせる内容がプログラムにあらかじめ含まれていたり、会場での配布物、多くの発表者の発言の雰囲気からして、会全体として護憲を打ち出している様子が節々から感じられました。

私の個人的な憲法に対する意見とは関係なく、強い違和感を感じたのは、「九条を護ることが戦争をしないことにつながっていること」「今後も九条を護持することが良いこと」の論理的な説明が全くなかったことです。あたかもそれは自明の理であるという雰囲気が会場を支配しており、別の意見を持っている人は居づらかったのではないかと思います。

 

改憲勢力の台頭

2012年の政権交代以降、いわゆる改憲勢力が勢いを増し、昨年2016年の参院選で衆参両院で改憲勢力が3分の2以上になりました。そのため、憲法改正が現実のものとなりつつあり、護憲の立場からすれば大いなる脅威を感じているでしょうから、護憲を、九条護持を、強く訴えたくなる気持ちは分かります。

 

ひとつのイベントに異なるテーマを混ぜない方がいい

しかし、今回のイベントのテーマは「戦争体験を知る」です。憲法をどうするかという話は、日本の国を、また安全保障環境をどうするかという話であり、別のテーマです。基本的に一つのイベントに二つの「異なる」テーマを、混ぜない方がよいでしょう。参加者にとっては論点が分かりにくくなるからです。(個人的には、憲法の話をする時間を戦争体験をもっと深堀りしてもらった方が満足度が高かったです。それを聞きに行ったので。)

 

憲法改正に対しては様々な意見がある

さらに、過去の戦争の悲惨さをもって、即座に憲法九条護持に結びつけられるかどうかは、様々な意見があります。現実に国会の多数派を形成しているのは「何らかの形で憲法九条を含めた日本国憲法を変えたほうがいい」と考えている人たちであり、それは一定程度国民に支持された考えであるということを意味しています。また憲法改正に関する各種世論調査でも、意見は様々であるということが示されています。自分たちと同じ考えの仲間だけを集めた集会でならともかく、公開イベントでは、もし戦争体験を憲法の話につなげ、特定の主張をするのなら、そのつながりを丁寧に、かつ論理的に説明すべきです。

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論理の飛躍は活動の発展にマイナス効果

今回のイベントの件は一例ですが、これ以外にも(保守・リベラル関係なく)このような事例が多く見受けられると感じます。思想的にどのような立場であったとしても、話しが飛躍する時は、丁寧で論理的な説明を心がけるべきだと思います。そうしなければ、仲間を増やそうとして意見を発信しても、元々同じ考えを持っている人以外の人の心を動かすことはできないでしょう。悪くすれば、論理的でない主張を続ける存在として、イメージを損ねるかもしれません。

以上をまとめると以下の二点になります。

  • 過去の出来事(今回の場合太平洋戦争)をテーマとして扱っている際に、現在の政策に関することを混ぜない方がいい。聞き手にとっては焦点が分かりにくくなる。
  • もし過去の話から現在の事象を議論したいのであれば、そのつながりには丁寧かつ論理的な説明があるべき。話者にとっては自明のことであっても、聴衆が同じような考えを持っているとは限らない。

 

photo: owner



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