大平洋戦争終盤、日本本土はアメリカ軍の爆撃機B-29による激しい空襲を受けました。B-29の性能については、以下のページ↓↓をご覧ください。
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このような高性能機は、当時日本だけではなく、アメリカ以外のどの国も作ることができませんでした。日本にもB-29をしのぐ巨大機「富嶽」(ふがく)など、新兵器の構想はいくつもありましたが、戦局の悪化により計画が頓挫したり、終戦までに間に合わなかったりしました。また、アメリカ軍も目を見張る日本の巨大潜水艦「伊400型」や、終戦間際に2機のB-29を撃墜した「5式15センチ高射砲」など、実戦配備されたものの、大量に生産することができず、ほとんど戦局に影響を及ぼさなかった兵器もありました。
日本がB-29に対抗できる兵器を持てなかった要因は様々に考えられますが、以下の理由が大きいと思われます。
- 個別の技術開発が間に合わなかったこと
- 素材技術・工作技術が及ばなかったこと
- 巨大兵器を製造及び運用するだけの資源や生産基盤がなかった(破壊された)こと
- 戦略目標達成のための新技術開発に国力を集中できなかったこと
本当の意味での総力戦であった太平洋戦争に、日本が向かった姿勢は正しかったのか。目的(戦争の勝利または引き分けでの停戦)を達成するための手段としての兵器の開発と運用に、日米の間では決定的な質の差があったことを如実に示しているのが、この爆撃機の存在ではないでしょうか。
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日本では、太平洋戦争の敗因としてよく「物量の差」が挙げられます。たしかにそれは間違っていませんが、そのことは開戦前から分かっていたことです。勝敗に決定的な差が出てしまったのは、「持てる資源の活用の仕方」にあるのだと、B-29は私たちに問いかけているように思えてなりません。
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Photo: wikipedia, public domain
アイキャッチ画像:ボーイング社の工場で生産されるB-29
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