JR総武線・都営地下鉄大江戸線から徒歩約10分の「都立横網町(よこあみちょう)公園」は、関東大震災と東京空襲の犠牲者を慰霊する施設が設けられています。この公園は元々旧日本陸軍の「被服廠」(ひふくしょう)※が置かれていた場所でした。
※日本陸軍被服廠…廠(しょう)とは広い建物や工場のことを指す。旧日本陸軍部隊に支給する被服品の調達、分配、製造、貯蔵を担当した工場と、これを統括した機関の総称。出典:コトバンク
被服廠は移転を進められており、公園として造成している最中の1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生しました。人々はこの被服廠跡にも大勢逃げてきましたが、持ち運ばれた家財道具等に引火し、強風にあおられ、大勢の人々が焼死しました。そこで、犠牲者の霊を弔い、復興の大事業を記念するため、慰霊堂と復興記念館が公園内に建てられました。
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そして1945(昭和20)年3月10日の大空襲では、本公園周辺を中心とする下町一帯がまたもや大変な惨禍に遭いました。そこで、東京空襲の犠牲者をも併せて弔うこととなりました。慰霊堂と復興記念館は関東大震災と東京空襲の両方を兼ねていますが、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」は東京空襲の犠牲者のために建てられた碑です。
東京都復興記念館
東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑
内部には東京空襲で犠牲になった方々の名前が記録された名簿が納められているそうです。毎年大法要の行われる3月10日(東京大空襲)、9月1日(関東大震災)に内部を公開しているとのことです。
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東京都慰霊堂
当初関東大震災の遭難者約5万8千人の遺骨を納めるための霊堂として、「震災記念堂」と名付けられました。その後東京空襲の犠牲者の遺骨も併せてこの霊堂に安置したため、「東京都慰霊堂」と改められました。現在合計で約16万3千体の遺骨が安置されているとのことです。
横網町公園には、その他にも朝鮮人犠牲者追悼碑や震災記念屋外ギャラリーなどもあります。こじんまりとした公園ですが、東京が負ってきた数々の災難の歴史と、人々の涙を凝縮したような場所です。ぜひ一度この公園を訪れ、東京大空襲や関東大震災に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
公園及び各施設の詳細は以下HPよりご確認ください。
【住所】東京都墨田区横網二丁目3番地25号
【アクセス】
JR両国駅下車 JR両国駅下車 西口より徒歩10分
都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車 A1出口より徒歩2分
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photo: owner
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