【映画】あゝひめゆりの塔(1968)/沖縄戦で女学生たちに課せられた悲劇の運命

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あゝひめゆりの塔」は、1968年公開の映画(白黒)。監督は舛田利雄、主演は若き日の吉永小百合です。

 

「ひめゆりの塔」とは

1945(昭和20)年3月、沖縄へのアメリカ軍上陸を目前に、沖縄師範学校女子部(師範学校は教師養成のための学校)と沖縄県立第一高等女学校の合計240名(生徒222名、教師18名)が、「ひめゆり学徒隊」として編制され、従軍看護婦となりました。「ひめゆり」は、沖縄県立第一高等女学校の学校誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の学校誌「白百合」とを組み合わせた名前です。また、「塔」は、実在する慰霊碑のことです。
(以上出典:ひめゆりの塔(Wikipedia)

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沖縄戦の実相を伝える歴史的大作

本作は、沖縄師範学校女子部の生徒が、ひめゆり学徒隊として負傷兵の看護をしつつ従軍し、悲劇的な最後を迎える姿を描いています。約50年前の映画であり、描き方や映像はかなり時代を感じますが、戦争の実相は詳しく描かれていると思います。また、女生徒役の若き女優たちの迫真の演技は心に迫るものがあります。沖縄戦で民間人、特に若者がどのように戦争に巻き込まれ、どのような傷を負ったのか。実感を持って知ることのできる歴史的大作と言えると思います。

 

ストーリー

冒頭はディスコ(ゴーゴー?)でダンスに興じる若者が、戦後23年という時間を感じさせるシーンから始まります(特別出演で渡哲也が演じている)。70年以上経った今でこそ、戦争の記憶は風化してきているという認識は一般的だと思いますが、1968年当時でも、若い世代にはもう昔のことという認識があったのですね。それは意外でした。ひめゆり学徒隊と同じ、20歳未満の若者はまだ生まれていなかったから当然といえば当然かもしれませんが、日本の急速な戦後復興、そしてGHQによる厳しい「脱戦前・戦中」政策の結果と言えるでしょうか。

 

平和な青春の時期から、軍と一体となる戦争の季節へ

太平洋戦争突入から1年半後の1943(昭和18)年夏は、まだまだ余裕のあった時期だったことが描かれます。師範学校女子部では運動会が開催され、男子が招待券をごまかして侵入するという、漫画に出てきそうな楽しい学園生活です。

しかしそれから一年経つと様子は一変。昭和19年夏には、生徒たちはアメリカ軍の接近に備え、軍の陣地構築に駆り出されるようになっていました。軍と学校が、この時期には同化(学校が軍に飲み込まれる)している様子が分かります。

そして、有名な疎開船「対馬丸」の悲劇も描かれます。沖縄の子どもたちを九州へ疎開させる船が、アメリカ軍潜水艦によって撃沈されてしまいます。港に見送りに行った人たちには船の姿は見えず、船で合唱していると思われる「ふるさと」の唄声だけが聞こえるのはなんとも物哀しい描写でした。

 

民間人をも襲った機銃掃射の恐怖

沖縄にはその年の10月に、アメリカ軍空母部隊による大規模な空襲があったのですが、それもしっかり描かれています。本作では師範学校の女子寮が焼けてしまいます。そして生徒たちは翌年(1945年)3月の卒業式を目前にして軍に徴用され、従軍看護婦となったのです。

この頃にはアメリカ軍の飛行機も頻繁に飛来するようになり、何度も機銃掃射に襲われる様子が描かれます。言葉では表現できない恐怖だったことでしょう。機銃掃射に襲われた生徒が、その恐怖から精神に異常をきたしてしまう様子も描かれています。私たちはこのように映画で機銃掃射の様子を見ることがありますが、実際にアメリカ軍機のガンカメラで残されている映像を見ると、本当に怖いです。

ご参考までに、以下の動画の33:30~37:00頃にかけてP-51という戦闘機による機銃掃射の模様があるので、関心のある方はご覧ください。こちらの映像は軍事目標、工場、インフラなど攻撃の正当性が主張できるターゲットしか映っていませんが、多くの実際の体験者の話では、それこそ動くものなら何でも銃撃してきたということで、民間人であろうが関係なかったようです。

 

一方で、機銃掃射を行うアメリカ軍機が、毎回戦後のものと思われる双発機で、グラマンやコルセアらしきものは1シーン(水浴びをしている学徒たちが狙われる)だけしか映らなかったのが私としては少し残念でした(違っていたらすいません)。CGの使えない当時の技術では仕方なかったのでしょう。

 

地獄と化した野戦病院

さて、3月26日に慶良間列島に、4月1日に沖縄本島にアメリカ軍が上陸してくると、いよいよ戦闘で傷ついた兵士たちがひめゆり学徒たちの待つ野戦病院へ送られてきます。

ここでの模様は、戦争の壮絶さを雄弁に物語っています。多くの兵の傷の手当は言うに及ばず、動けなくなった負傷兵の大小便の面倒を、二十歳にもならない若い女性が見ないといけなかったり、狭く汚い壕の中で、精神に異常をきたした兵が暴れたり、意味不明の言葉を叫んだりします。そのような中、学徒たちは精いっぱい平静を保ち面倒を見続けようとするのです。

傷の回復の見込みがなければ、その部分を切り落とすしかありません。負傷兵の足をのこぎりで切り落とし(おそらく麻酔もなく、切られた兵は気を失ってしまう)、その足を学徒がゴミ捨て場に持って行って捨てるのですが、そのゴミ捨て場には同じように切り捨てられた手足が散乱しているのです。

 

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首里陥落-泥水の中の逃亡

そして日本軍が当初拠点を築いていた首里城は陥落が間近になり、病院も移動することになります。4000名も患者がいるので、歩けない患者は置いていく。「帝国軍人として恥ずかしくない処置」つまり最後は自決をするようほのめかされます。自決することのできない兵には、青酸カリ入りのミルクが配られました。

沖縄の5月は雨期です。土砂降りの中食事もろくになく、ずぶ濡れのまま学徒と引率の教師たちは沖縄本島南部へ移動しました。攻撃のある昼は寝て、夜は移動するという毎日です。動けない生徒、先生は置き去りにされていきます。

そして6月も半ばを過ぎ、ついに日本軍は抵抗する力を失いました。学徒たちにも解散命令が出されます。しかし、それは「退却」ではなく、「一度解散し、再挙を図れ」という命令です。その命令を校長が学徒たちに向かって伝える、

日本軍には「逃げろ」という命令はないのだ

というセリフが、日本軍の精神性を端的に物語っていると言えるでしょう。

 

女生徒たちのいのちの終わり

解散命令の出たひめゆり学徒隊が、毒ガス弾と思われる攻撃を受けるシーンがあります。気になって調べてみましたが、沖縄戦で毒ガスが使われた事実はないようです。混乱の中で、そのような誤認が生まれたものと思われます。

そして学徒たちは班ごとに分かれて「ガマ」と呼ばれる天然の壕を脱出していきますが、その多くが逃亡の中で敵の攻撃に遭い、亡くなっていきます。また、逃げる希望を失った学徒たちは、次々に自決していきます。ひめゆり学徒隊240名(教師を含む)のうち、生徒123名、教師13名が犠牲となりました。この若い命の犠牲は、戦争とはなんたるかを私たちに痛切に伝えているようです。

 

女学生たちの迫真に迫る演技は、観る者の心をスクリーンの中に引き寄せます。沖縄戦はどのようなものだったのか、その一端を知る手掛かりとして、ぜひ本作をご覧ください。

 

<ご覧いただく方法>

以下に、オンラインですぐに注文・視聴できる方法をご紹介します。ご希望の箇所の画像または作品名または「Amazon」をクリックしてください。

※本作は白黒映画です。

 

[1]Amazonビデオでオンライン視聴

Amazonでは、購入してすぐその場で視聴できる「Amazonビデオ」で「あゝひめゆりの塔」を配信しています。レンタル期間は30 日間、一度視聴を開始すると48 時間でレンタル期間が終了します(400円)。

 

 

[2]DVDを購入

本作のDVDを購入することもできます。2011年にデジタルリマスター版というものが出ているようで、そちらもご紹介しますね。下のものが当初の作品です。

 

 

 

沖縄戦はそもそもどのような戦いだったのか?を知りたい方は、ウェブサイトで解説していますので、こちらをご覧ください ➡ 沖縄戦―陸の戦い

 





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